tsubuyaki622の日記

母の闘病記

警察に医療事故被害相談(1)

 

          ーーー病院の闇(1)~(5)ーーー

 

    ーーー弁護士に医療事故調査依頼(1)~(3)を受けてーーー

 

 警察に医療事故被害相談(1)~(2)始

 

 

       ≪≪≪碑文谷警察署に告訴状持参≫≫≫



2015年6月22日、母が自宅で息を引きとった。通院していた東京医療センター産婦人科主治医は死因を卵巣癌としたが、私は納得していたわけではなかった。


一月ほどたった7月末になってやっと、母の直接の死因は卵巣癌ではなく、腹水の全量抜きによる衰弱死であると気づいた。


2015年9月28日、母の『病気の経過』をまとめた資料を東京医療センターに持参して、担当の医事課員に説明したところ、院内に『医療事故調査委員会を立ち上げて調査すると約束した。


2015年12月15日、医事課員から一向に連絡が来ないので電話で問い合わせた。


『主治医に聞いたところ処置内容に問題はなかった』と答えたので、そのまま二月半の間放置していたとの返事にわが耳を疑った。納得がいかないので、一体どういうことかと問い詰めようとしたが、一方的に電話を切られてまった。


まともな組織の対応とは到底考えられないこの無責任さに、怒りがおさまらなかった。こういうやからを世間ではバカヤローと呼ぶのだろう。この超メタボの愚劣な医事課員をこれ以上相手にしても埒が明かないと考え、警察に相談することにした。


一旦は『医療事故調査委員会を立ち上げて調査すると約束しておきながら、態度を一変して放置したということは、この医事課員は当初、医療事故の存在を知らされていなかったのか。


調べてみたら確かに医療事故を起こしていたことが分かり、まともに調査を進めると東京医療センターの病院経営に影響を及ぼしかねないと危惧して放置したのか。


2016年1月7日『被告訴人を東京医療センター産婦人科主治医ほかとする告訴状』をしたため碑文谷警察署に持参したが、解剖所見がないので、証拠が不十分で受理できないと告げられた。


この時点で手元にあった証拠は、訪問診療時に母が訪問医に話した内容を記した、【病院の闇(3)】2015年5月13日の訪問医診療レポートだけで、


『(主治医が腹水を)全部とるのはまずいと言っていたの に、結局全部抜くことになってしまいました。』


と記録されている。


まだカルテも入手しておらず、母のメールや日記類もチェックしていなかったので、如何ともしがたく、引き下がるほかなかった。



     ≪≪≪主治医が解剖を拒絶≫≫≫



2015年6月22日に母が自宅で亡くなってすぐに、死後の解剖について母自らが約束を交わしていた、東京医療センター産婦人科主治医に電話でお願いしたが、主治医は【病院の闇(4)】2015年6月22日に書いたとおり、


『こちらで解剖するための手続きが煩雑で、ものすごく大変ですよ。』

『車の手配もありますし。』

『診察時に解剖の話はしましたが、正式に約束したわけではありません。』

『医学的には既に診断(卵巣癌)がついていることです。』

『いまさら解剖しても、得られるものは何もありません。』

『主治医として解剖することに、何の興味も関心もないし、意味もないことです。』


と言って、私が懇願した解剖を頑なに拒んだ。


近所に住む東京医療センター産婦人科元看護師長に、事前に母の死を伝えてあったので、元看護師長から連絡を受けて、あらかじめ念入りに対応策を練っていた主治医は、なんのためらいも迷いもなく、即座に解剖を拒絶した。あれこれ思案する様子もなく、淀みのない返答であった。


私も、この時点で腹水抜きが死因であるとは考えていなかったので、すでに卵巣がんと診断がついていて、解剖する意味がないと言い張る主治医の頑なな態度に、断念せざるを得なかった。


2年間の主治医による卵巣癌の診察では、2度の腹水検査以外は超音波エコーでの診察のみで、手術はしていない。これで医学的には診断が確定し、解剖したところで得られるものは何もなく、意味もないと断言できるのか。主治医にはよほど特殊な透視能力でも備わっているのか。これぞまさしく名医ならぬ迷医ではないか。


医療事故の当事者として将来、自身と東京医療センターが不利な立場に置かれることを危惧して、解剖を拒絶したのであろう。


主治医の対応は、医療事故の証拠隠滅を意図したもので、医の倫理に反する医師にあるまじき、極めて悪質、非道なものといっても過言ではないだろう。


狡猾で悪辣な主治医の対応で解剖できなかったことが悔やまれてならない。主治医の卑劣で、卑怯なやり口には憤りを禁じ得ない。主治医は良心の呵責に悩むことはないのだろうか。



        ≪≪≪弁護士報告書から引用≫≫≫



【弁護士に医療事故調査依頼(1)】≪≪≪病理解剖≫≫≫で、


『患者は、死後の解剖を希望しており、病院側も了解していた。』


『死後も、遺族から解剖希望がでたものの、死因は病死で明らかと説明し、実施しなかったが、医師には、本人(遺族含む)の求めがあった場合には、病理解剖を実施し、その結果に基づいて死因を説明すべき診療契約に付随する義務を負っていたと解される。』


『病理解剖の実施及び結果報告義務違反として、医師の対応が不適切であったといえる可能性がある。』


と指摘している。


主治医が診療契約に不随する義務に違反したことは明白である。


医事課員といい、産婦人科主治医といい、東京医療センターにはなんとも無責任で狡猾な職員がいるようだ。母が亡くなってはじめて、とんでもない病院にかかっていたと分かったが、もはや取り返しのつかないことであった。



      ≪≪≪弁護士に医療事故調査を依頼≫≫≫



2016年1月21日碑文谷警察署刑事の計らいで、産婦人科医長(科長)と主治医に会い、母に対する医療処置について説明を受けた。


主に医長(科長)が説明したが、母の医療処置に問題となる点は無かったの一点張りで、到底納得できるものではなかった。

【病院の闇(4)】2016年1月21日 参照


2016年2月8日区役所の無料法律相談で、『医療事故研究会』を知る。


2016年2月9日産婦人科医長(科長)から入手を勧められていた、カルテ600頁余を受けとる。


2016年3月4日赤坂一ツ木法律事務所の、医療事故分野の『経験豊かな弁護士と、東京リベルテ法律事務所の『若手女性弁護士』の両者に、赤坂一ツ木法律事務所で母の医療事故について説明。両者は『医療事故研究会』が選任した弁護士である。


2016年3月22日、両弁護士と医療事故調査契約を結ぶ。


2016年12月22日、赤坂一ツ木法律事務所で両弁護士から医療事故調査報告書の説明を受けたが、専門医の意見書をお願いしておいたのに、付いていなかったので、再度専門医の意見書を付けた報告書を出すように依頼した。

【弁護士に医療事故調査依頼(1)】参照


2017年6月29日専門医の意見を両弁護士が聴取してまとめたと称する医療事故調査報告書の説明を、赤坂一ツ木法律事務所で受けたが、専門医の意見書などではなく、単に医学には素人の両弁護士が作文しただけの報告書であった。

【弁護士に医療事故調査依頼(2)】参照


結局1年3ヶ月の時間と少なからぬ費用を無駄に費やしただけの、まったくの骨折り損のくたびれ儲けに終わってしまった。


赤坂一ツ木法律事務所弁護士の、医療分野での『経験豊か』というのは、一体どういった経験のことを言っているのだろう。到底素直に受け取れるものではない。法律の専門家による調査報告とはお世辞にも言えないような、あまりにお粗末な事故調査報告書であった。



    ≪≪≪担当した研修医が自殺≫≫≫



2017年8月9日、母の腹水抜きを担当した東京医療センター産婦人科研修医が、腹水抜きの時点で既に精神疾患を発症していて抑うつ状態にあり、母の死の20日後の2015年7月12日に自殺していたことをマスコミ報道で始めて知った。


【病院の闇(4)】2015年8月10日の報道記事によると、独立行政法人国立病院機構が運営する、都内の総合病院に勤務する産婦人科研修医の過労死》を、品川労働基準監督署が労災認定したとある。


《品川労働基準監督署が管轄する地域は品川区と目黒区で、両区にある国立病院機構の総合病院は目黒区の東京医療センターのみである。》


海軍軍医学校の流れをくむ東京医療センターの、広大な敷地内に点在する職員寮にこの研修医は住んでいて、亡くなる直前の2015年5月と6月には道交法違反(信号無視)を起こしていたと報道にある。


5月8日には研修医が母の腹水を全量抜き取ってしまったうえに、内臓を傷つけた可能性があり、6月22日にはそれらが原因で母が亡くなっている。その20日後の7月12日に研修医が自殺した。母の治療経過と時期的によく符合している。


職員寮の自室はものが散乱した状況で、冷蔵庫には何も入っていなかった。公共料金の支払いも滞っていたと報道にある。


【病院の闇(3)】2015年5月8日研修医が腹水穿刺した後、カルテをチェックした主治医が、研修医の常軌を逸した、無謀な医療処置に気づいて厳しく叱責したであろうことは容易に想像がつく。


さらに6月22日に母が息を引き取ったことを主治医から聞かされた研修医が自責の念に駆られ、これが導火線となって7月12日の自殺に至ったであろうことは想像に難くない。


こうしたことが研修医が亡くなる直前の5月と6月の道交法違反(信号無視)と7月の自殺に結びついていると考える。


日本産科婦人科学会雑誌2015年10月号の敬弔(死亡退会)欄に、研修医が自殺した日付で、研修医の会員退会届が出されていたのを、2018年10月末に確認した。



      ≪≪≪病院名、研修医名をなぜ伏せた≫≫≫



研修医の過労自殺の労災認定が報道されながら、病院名ならびに研修医名が伏せられていたことに違和感を感じたのは私だけではないだろう。


少なくとも研修医の遺族にとっては、病院名を公表して研修医の勤務状況、健康状態に対する病院の管理責任を追及するのが普通である。病院に損害賠償を求め、研修医の無念を少しでも晴らせれば、せめてもの慰めになるであろう。


伏せなければならない理由があり、その点を明確に理解、自覚していたからこそ、研修医遺族の代理人弁護士は労災認定発表で伏せたと考えられる。


報道によって病院名と研修医名が表に出ると、母の医療事故を追及している私を利するばかりか、病院がこうむる社会的な不利益、さらには労災認定結果にも疑義が生ずると考えたか。


過去の他病院での研修医の過労自殺の労災認定では、病院名と研修医名が明らかにされているので、単に過労自殺者を出したというだけなら、病院がこうむる社会的不利益は限定されたものになると考えていいだろう。


労災認定結果に疑義が生ずるかもしれない点についても、2017年9月末に品川労働基準監督署に伺って副署長から話を聞いたところ、自殺した研修医については何も話せないが、一般論として言えば一度認定したものが取り消されることはないとの返答であった。



  ≪≪≪代理人弁護士と医療センターが非公表で合意≫≫≫



代理人弁護士は、労災認定の申請にあたって、東京医療センター産婦人科医局での聞き取り調査の過程で、研修医が母の医療事故に関わっていたことを知らされたであろう。


もし病院名、研修医名を公表すれば、医療事故を追及する私を勢いづかせ、研修医にとっても、東京医療センターにとっても不利になると言われた考えられる。


研修医遺族にとっては、病院名、研修医名が公表されれば、単なる過労自殺では済まなくなり、背後にひそむ研修医による医療事故の存在が明るみに出てしまう可能性があり、研修医に汚名を着せることにもなる。


一方で東京医療センターは、精神疾患を患っていて、抑うつ状態で注意力が減退し、冷静さを欠いていた研修医に、リスクを伴う腹水抜きを任せたことで、腹水を全量抜き取ってしまったうえに、穿刺針で内臓を傷つけた結果、患者である母を死亡させたという事実が明るみに出てしまう。


そうなれば医師の勤務、健康、業務管理を含めた東京医療センターの管理体制全般に、重大な欠陥があったことが露呈することになる。


東京医療センターは、研修医の代理人弁護士に病院名、研修医名の公表が医療事故の存在を明るみに出して、研修医に汚名を着せることになりかねないと伝え、公表を見合わせるよう説得したのであろう。


代理人弁護士、医療センター双方にとって、研修医が関わった母の医療事故の存在が、いかなる形でも表に出ることは好ましくないと考え、最終的に病院名、研修医名を伏せることで、合意したものと推察される。


せっかく代理人弁護士が名前を伏せて発表したのに、私は報道内容とカルテから病院名と研修医名を容易に把握することができた。



≪≪≪常軌を逸した研修医の医療行為≫≫≫



【病院の闇(3)】2015年5月8日のカルテに研修医は、


『腹水700mlで流出止まつた。(穿刺針の)向きや深さを変

えたり、シリンジ(注射器の筒)で陰圧かけるも引けず。』


と書いている。

腹水が抜け切って腹部の空洞が無くなった状態で、精神疾患を発症して、抑うつ状態で注意力が減退し、冷静さを欠いていた研修医が、穿刺針の向きや深さを変え、さらにシリンジ(注射器の筒)で陰圧をかければ、穿刺針が内臓に突き刺さって傷つけた可能性は十分に考えられるはずである。


主治医は研修医のカルテを見て、血の気が引いたに違いない。なんてことをしてくれたんだと、研修医を厳しく叱責したであろうことは想像に難くない。


研修医が精神疾患を発症して、抑うつ状態で注意力が減退し、冷静さを欠いていたことが、常軌を逸した無謀な医療処置に結びついたことに疑いはない。


主治医ならびに産婦人科医局が、精神疾患を発症して、うつ状態で注意力が減退し、冷静さを欠いていた研修医に、内臓損傷のリスクを伴う危険な医療行為を任せたことの責任はきわめて重いと考える。


東京医療センター産婦人科医局において、医師の勤務、健康ならびに業務管理が適切に行われていなかったのは明白であろう。



     ≪≪≪主治医の責任は重大≫≫≫



【病院の闇(2)】2015年4月22日、主治医はカルテに、

『下腹部は腫瘤のためスペースなく上腹部メインにある
《穿刺は肝臓・小腸近く、現時点での量ではリスクの方が恐
 い》

と書いている。つまり、現在の腹水量で腹水穿刺することは、肝臓・小腸を傷つけるリスクがあり怖い、とはっきり認識している。


2015年4月28日、主治医が腹水穿刺を5月7日に実施と決める。


2015年5月7日、主治医が研修医に1000mL目標にドレナージを指示、実施


2015年5月8日、超音波エコーで腹水残量をチェックすることなく、主治医が研修医に漫然とさらに1000mL目標にドレナージを指示したが、700mLで流出が止まった。2日間で合計1700mLドレナージした。


研修医は700mLで流出が止まった後も、遮二無二に(穿刺針の)向きや深さを変えたり、シリンジ(注射器の筒)で陰圧かけて、主治医に指示された1000mLのドレナージを、なんとかして達成しようとした結果、内臓を傷つけてしまったと考えられる。

研修医が医師としての正常な判断能力を、完全に喪失していたのは明白である。

一連の流れを見ても分かるように、そもそも腹水量が少なく内臓を傷つけるリスクの方が怖いと認識していながら、初日の1000mLに続いて、2日目もさらに1000mLの腹水穿刺を研修医に漫然と指示した、主治医の責任は極めて重い。



         ≪≪≪腹水抜きの注意点≫≫≫



【病院の闇(2)】2015年4月25日≫腹水抜きの注意点≪で書いたように、2L以下の腹水量では、通常腹水穿刺することはなく、腹部膨満感の緩和効果も期待できないことは、医師に限らず看護士レベルでも共有されている基本認識であるはずなのに、なぜ腹水穿刺を強行したのか。


さらには、腹水穿刺した腹水をセルブロック検査に使った以外は、すべて廃棄処分していることも理解できない。


都内豊島区要町病院腹水治療センター長の松崎圭祐医師の考案になるKM-CART法のように、取り出した腹水を濾過、凝縮して点滴で静脈に戻す方法が開発されているのに利用していない。


そもそも1700mL程度の腹水量では、腹水穿刺をしても腹部膨満感の緩和効果が乏しいどころか、内臓を傷つけてしまうリスクがあることを考えれば、やってはいけない治療であった。


主治医が腹水抜きを強行したばかりに、精神疾患を発症していて、うつ状態で注意力が減退し、冷静さを欠いていた研修医が医療事故を起こしたことが、母の死と研修医の自殺につながったことを考えると、主治医の責任は看過できるものではない。


母と親しい間柄の東京医療センター産婦人科元看護師長が、いかなる意図をもってか不可解で強引な介入をしたことで、主治医が治療方針の変更を余儀なくされたことは承知しているが、それでも実施を決断した主治医に最終責任があることは論を待たない。

【病院の闇(2)】2015年4月22日、28日参照。


医療事故に直接かかわったのが研修医であることは間違いないが、精神疾患を発症して、うつ状態で注意力が減退して、冷静さを欠いていた研修医に、リスクを伴う腹水穿刺を指示して実施させた主治医の責任が、研修医の責任をはるかに上回ることは疑いない。



      ≪≪≪碑文谷警察署に被害届持参≫≫≫



2017年10月5日午前9時過ぎ、母の医療事故被害について再度相談したいと碑文谷警察署に電話。前回2016年1月7日に相談した2人の刑事は、定年退職と他部署に移動したとのことで、別の刑事が電話口にでた。


前回2016年の相談では医療事故の根拠となる証拠が、十分に揃っていなかったので一旦は諦めたが、その後カルテを入手して、母の残したメール、日記類も読み込んで、医療事故の証拠となる資料を新たに多数入手したので、これら資料を基に医療事故について説明に伺いたいと電話で伝えた。


さらに都内総合病院産婦人科研修医の過労自殺が、2017年8月9日に労災認定されたと報道されたが、報道内容からこの研修医は母の腹水抜きを実施した研修医で間違いないと考えていることも伝えた。


電話口の刑事は、もう済んだことをなんでまた蒸し返してくるのかといった調子で、まともに私の言い分を聞こうとしなかったが、40分に渡って粘り強く説得して、なんとか面会の約束を取り付けることができた。


刑事がその日の午後1時に碑文谷警察署に来るようにというので、急いで早めの昼食をとり、碑文谷警察署最寄りの東横線都立大学駅に向かった。


東京医療センター産婦人科主治医は、研修医の過労自殺が労災認定されたとの報道直後の、2017年8月に系列の慶応病院婦人科に移動、栄転していたので、『加害者を慶応病院婦人科医師ほかとした被害届』と多数の医療事故の証拠資料を持参した。


前回は『告訴状』を持参して受理されなかったので、今回はより受理されやすい『被害届』の形式とした。


主治医が慶応病院婦人科に移動したのと時を同じくして、東京医療センター産婦人科医局の医師も大幅に入れ替わり、それまで2~3名いた研修医はゼロとなった。


研修医の過労自殺の労災認定が報道されたことで、母の医療事故に飛び火するおそれがあると考え、産婦人科医局医師の大規模移動を行って隠蔽を図ったのではないか。



          ≪≪≪刑事の開口一番≫≫≫



碑文谷署に着いて案内された部屋は、署員の事務室に付設された取調室のようなこじんまりとした部屋であった。部屋には小さめの机と、向かい合って置かれた椅子が2脚、荷物置き用の小椅子1脚があった。

部屋に入るなり、まだ立ったままの状態で、刑事が開口一番きわめて強い口調で、

『死んでしまった人間を、今さらどうしようと言うんです

 か。』

と聞いてきたので、

《研修医は死んだが、腹水抜きを指示、指導した主治医は健在でしょう。》

と応えた。すると刑事が、

『主治医をどうしたいと言うんですか。』

と聞いてきたので、

《医師免許停止というのもあるでしょう。》

と応えた。


いきなりの威圧的な口調に圧倒されて、刑事の言葉の意味をその時は深く考えないで受け答えしたが、後になって考えてみると、実に含みが多く示唆に富む言葉であることが分った。



        ≪≪≪死んでしまった人間≫≫≫



確かに私は2017年8月9日の報道を基に、母の腹水抜きをした研修医が自殺したと午前中の電話で伝えたが、これは私の一方的な申し立てであって、これだけで警察は確定した事実とするわけにはいかないはずである。


警察は、被害者からの被害申告に対して、公平、公正、中立の立場で被害者、加害者どちらにも組せず、ほぼ白紙の状態で双方の申し立て、申し開きを聞き、それらに基づいて捜査して、警察なりの判断を下すというのが一般的な捜査手順であろう。


にもかかわらず、いきなり『死んでしまった人間』と断定しているのは、警察は研修医の自殺を確定した事実としてはっきり認識していたということである。



         ≪≪≪今さらどうしようと≫≫≫



さらに『今さらどうしようと言うんですか』という言葉も、研修医が医療事故を起こしたという前提、認識に立っての言葉である。


通常であれば、医療事故を起こしたと主張する根拠、証拠を私に提示させて、それらを精査したうえで、医療事故を起こしたかどうかを判断するのが一般的であろう。


確かに研修医が医療事故を起こしたと私は申し立てているが、警察としては被害者の一方的な申し立てをもって、確定した事実として扱うことはしないはずである。


ところが、いきなり研修医が医療事故を起こしたという前提に立った話をしている。


くどくどと繰り返すようだが、警察は被害者からの被害申告に対して、公平、公正、中立の立場で被害者、加害者どちらにも組せず、ほぼ白紙の状態で双方の申し立て、申し開きを聞き、それらに基づいて捜査して、警察としての判断を下すというのが一般的な捜査手順であろう。


ところが、この刑事の言葉からは、警察は既に研修医の自殺と、研修医が医療事故を起こしたという事実をはっきり把握していると言っているも同然である。《勢いあまって、語るに落ちたようだ。》


研修医が医療事故を起こしたと分かっていれば、当然指揮系統の上位に位置する主治医の責任も問われるべきなのに、直接の当事者の研修医が自殺してしまったのだから、もうこれで捜査は打ち止めということにしたらしい。まことに不可解である。捜査の常道から逸脱しているのではないか。


主治医が研修医の医療事故に関わっていたと明確に認識していたからこそ、『主治医をどうしたいと言うんですか。』と聞いてきたわけだから、当然主治医についてもその責任を追及すべきであろう。


この後に続く説明で私は《自殺した研修医が》と繰り返し話したが、その都度刑事は『研修医が死んだかどうかは知らない』と言い返す始末。さっき自分で研修医は死んでしまったと言ったじゃないかと言ってやりたかったが、つむじを曲げられては説明を進めにくくなると考え、温情をもって穏便に済ませた。



          ≪≪≪警察は知ってた≫≫≫



ではなぜ警察は研修医の自殺と、研修医が医療事故を起こしたという事実を、私が申し立てをする前から知っていたのかについて考えてみる。


ポイントは研修医の自殺場所である。研修医は東京医療センターの広大な敷地内に点在する職員寮で自殺したと考える。超過勤務の連続で研修医を最悪の事態に追い込んでしまった東京医療センターへの恨みつらみ、当てつけの気持ちもあったろう。


自殺の報を受けて医療センターを管轄する碑文谷警察署員が現場に急行。警察としては自殺を装った他殺も念頭に捜査をすることになる。


職員寮の現場検証は当然のこと、さらに医療センター関係者、特に研修医が所属していた産婦人科医局員への事情聴取は徹底して、厳しく行われたはずである。なにせ理由はともあれ病院の敷地内で研修医が死亡したのだから。


この過程で、研修医の自殺前数か月の勤務形態、医療処置内容等についても執拗に聴取したであろう。


産科婦人科医局員、特に上司に当たる主治医への厳しい事情聴取で、研修医が医療事故を起こしていたという事実も掴んだと考えられる。母に対する研修医の常軌を逸した無謀な医療行為を、主治医は厳しく叱責していたであろうから、医療事故について触れないわけにはいかなかったろう。


ここからが問題で、医療事故の事実を掴んだ段階で、本来であれば医療事故としての立件も視野に捜査することになるはずであるが、当事者である研修医が自殺してしまったことで、警察の捜査はなぜかここでストップしてしまったようだ。


碑文谷警察署と東京医療センターどのような関係にあるのか知らないが、医療事故の存在を黙殺することで合意したのだろう。


碑文谷警察署は加害者である東京医療センターの側に立って、被害者である母の存在を無視したようである。公平、公正、中立であるべき警察は、なんの疑問も感じなかったのだろうか。


東京医療センターにとって幸いなことに、狡猾で悪辣な主治医が母の解剖を必死になって妨害して実施させなかったことで、医療事故の決定的な証拠が残らなかったことも大きい。


被害者遺族である私も、この時点では医療事故として認識しておらず、当然被害申し立てをしていなかった。



          ≪≪≪不思議な霊体験≫≫≫



2015年9月28日東京医療センターで医事課員に対して、母の治療経過をまとめた資料を基に、医療事故について説明し調査を依頼した。


医事課員は、院内に『事故調査委員会』を設置して調査すると明言したので、事故原因究明に向けて光明が見えてきたと思い、安堵の気持ちで帰途についた。


東京医療センターの裏口から職員寮の辺りを通って、裏門の短い階段を下ると、環状7号線のバス停手前まで気持ちのいい長い道が続いている。


この辺りには、目黒区の高級住宅地が広がっており、車道も歩道もゆったりとしていて、人通りも車の通行もほとんどなく、落ち着いた静かな環境のなか、うららかな日和もあって、散歩気分でのんびりと歩きだした。


しばらく歩いたところで、なんだか誰かが死んだみたいだという不思議な感覚にとらわれた。


もちろん、それが誰なのかはその時は分からなかったが、2017年8月9日になって、研修医が過労自殺していたと報道されたことで、あの時の不思議な感覚は研修医のことだったと理解した。


研修医が自殺したのは2015年7月12日なので、自殺して2月半後の9月28日に研修医の霊が、病院の敷地内で私に取りついて、ついてきたのであろう。



          ≪≪≪研修医と私の因縁≫≫≫



なぜ研修医が私のことを知っていたかというと、2015年5月7日に腹水穿刺で母が東京医療センターに入院した際、病室で入院手続きを終えて、個室病室で母に付き添っているところへ、研修医が超音波エコー装置を手押ししながら無断で入って来て、母のベッドを挟んで私の対面に立つなり、

『今からここで処置をするんですよ。終わったら呼びますから。』

と、興奮した口調で怒鳴るようにしゃべった。ビックリして、慌てて廊下に出たが、研修医は一体なんで朝っぱらから初対面の私に、いきなりあれほど興奮してしゃべったのか理解できなかった。社会性が欠如した礼節をわきまえない人間との印象であった。


後の労災認定の報道で、精神疾患を発症した、抑うつ病患者であったと知って納得したしだいである。


この一件で、腹水抜きで医療事故を起こしてしまった相手である、母に付き添っていた私のことを研修医ははっきりと認識していて、私が医療センターの職員寮の辺りを通ったところで、研修医の霊が私を見つけて取りついたのであろう。


研修医もさぞ無念な思いを抱いて死んでいったのであろう。亡くなった後も、主治医の指示、指導には納得、承服できないものがあって、職員寮の辺りをさまよっていたのかもしれない。


主治医と産婦人科医局が研修医の精神疾患に対して、適切な対応をしていれば研修医が最悪の事態を迎えることはなかったのではないか。母についても同様のことが言える。



     ≪≪≪刑事の感情が突然爆発≫≫≫



【弁護士に医療事故調査依頼(1)~(2)】の医療事故調査報告書のコピーを刑事に渡して、母の医療事故を否定したお粗末な報告書を受け取らされたと話したら、刑事はテーブルに置いた報告書のコピーを、平手で力一杯バンバン叩きつけながら、大声を張り上げて、

『あなたの弁護士がこう言っているんじゃないか。』

『そんなに弁護士の言うことが気に入らないなら、』

『自分で弁護士の勉強をして、弁護士になって、』

『自分で調査したらいいじゃないか。』

と、怒鳴り立てた。


弁護士が医療事故を否定した報告書に対して、私がいい加減な報告書を掴まされたと言ったのが、よほど刑事の癇に障ったらしく、突然感情が爆発してしまったようだ。著しく冷静さを欠いた対応であった。


私は穏やかな口調で淡々と説明していたのに、刑事がいきなり興奮して怒り出すとは、感情のコントロールがうまくできないのだろうか。刑事の独り相撲であった。刑事歴20年になるそうだが、未熟さを露呈してしまったようだ。


刑事の強烈な威圧感に完全に気おされてしまった私には、返す言葉がなかった。


刑事にしてみれば、私が依頼した弁護士が医療事故を否定したのであれば、もうそれ以上何を言うことがあるんだ。それで終わりでいいじゃないかと言いたかったのだろう。


弁護士の言うことが常に正しいわけではないことは、刑事なら当然分かっているだろうに。


たかが弁護士の報告書を見せられたくらいで、なんでこれほど激高するのか理解に苦しんだ。



      ≪≪≪刑事はなぜ突然感情爆発したか≫≫≫



医療事故の相談に訪れただけなのに、刑事はなにを勘違いしたのか、ほとんど被疑者取り調べにでもあたっているような威丈高な態度であった。



部屋の扉は開け放たれていて、隣の署員の事務室に声が筒抜けだったので、刑事の上司と思しき人物が入口まで来て、大丈夫かと確認するようにこちらを覗いていた。この後も刑事が何度か大声を張り上げるたびに、入口に人がいるのが見えた。


その場では圧倒されっぱなしで冷静に判断できなかったが、後になって落ち着いて考えてみると、母の医療事故の内容に関して、警察もかなり細部まで把握していたが、最初からなぜか事件化しないと決めていたようだ。


そのため何が何でも事件化を阻止しなければという強い思いが根底にあって、つい暴走してしまったのだろう。


母の医療事故を追及しようとする私を、なんとしても押しとどめようとする気迫を十分に感じ取ることができた。


医療事故の内容について何も知らないで、白紙に近い状態であったなら、たかが弁護士の報告書くらいで、ここまで激高することもなかった思う。


刑事が爆発してくれたおかげで、碑文谷警察署が母の医療事故の存在をはっきりと認識していて、しかも事件化しないと決めていたのであろうということを知ることができた。感謝、感謝。



       ≪≪≪研修医の興奮と刑事の感想≫≫≫



2015年5月7日朝に個室病室で母に付き添って待機しているところに、研修医が無断で病室に入って来て、

『今からここで処置をするんですよ。終わったら呼びますから。』

興奮した口調で怒鳴るようにしゃべったことを刑事に話して、研修医は正常な精神状態ではなかったようだと言ったら、

実に呆れたことに、

『あなたがそんなところ(個室病室)にいたからいけないんだ。』

と返してきた。

個室病室がどういうものなのか、分からないわけないだろうに。何言ってんだと思ったが、刑事はとにかく私が言うことを、ほぼ全否定してくるので、反論しても徒労に帰すだけと思い、軽く受け流して話を進めた。



         ≪≪≪インターネット情報≫≫≫



母の死を医療事故と判断する際に拠り所とした医療情報は、私がネットで調べた記事であると刑事に話したところ、ネット上の記事は信頼できないから受け入れられないと言った。


ネット上にある記事は、確かに玉石混交で無条件に信頼していいものでないことは、もちろん承知しているが、信頼できる記事も多い。これほど容易に多くの情報を入手できるネット上の記事を、一律に信頼できないからと拒絶してくるとは意外であった。


個人のみならず、法人、団体においても、今や医療情報に限らず、各種情報の収集において、ネット利用は必要欠くべからざる手段であるのに、なんと時代遅れの認識であることかと驚きを禁じ得なかった。


時代の流れに逆らって、食わず嫌いを決め込んでいると、《見ざる、聞かざるの、ただのアホざる》に堕してしまうと考えるが、いかがなものか。この際考えを改めてみてはどうか。



          ≪≪≪税金の無駄遣い≫≫≫



午後1時過ぎに説明を始めて、3時前くらいに刑事が、

『もう1時間半もあなたの相手をしている。』

『我々警察は税金で運営されている。』

『あなたがこうして私を拘束していると、あなたは私に税金の無駄遣いをさせている 

 ことになるんですよ。』

と、驚くようなことを口にした。


都民が公務員の執務内容に関して、税金の無駄遣いだと言うのを耳にすることはあるが、まさか逆に公務員である刑事から被害相談に訪れた都民に対して、税金の無駄遣いをさせていると言われようとは、ただただ呆れるばかりである。


さぞや日々、税金の無駄遣いをしては納税者の都民の皆様に申し訳ないと考え、日夜業務に精励されていることでしょう。ご苦労さん。ご奮闘を。



    ≪≪≪内臓を傷つけたら一月も生存できない≫≫≫



【病院の闇(3)】2015年5月8日研修医は腹水を700mL抜いたところで流出が止まったのに、主治医が目標として指示した1000mLを、なんとしても達成しようとして、

『(穿刺針の)向きや深さを変えたり、シリンジ(注射器の筒)で陰圧かけるも引け ず』

と自らの医療処置内容をカルテに記入しているのを根拠に、研修医が穿刺針で内臓を傷つけたことが、腹水全量抜き以上に母の体に大きなダメージを与え、死に至らしめたと刑事に説明した。


刑事は内臓に傷つけたら1ヶ月も生き延びることはできないと言って、内臓に傷つけたという私の主張を全否定した。相当な医学知識を持ち合わせているのか、自信をもって断言した。


どこでそのような医学的判断ができるような知識を身に着けたのだろう。刑事が忌避するネットではないだろう。なにせネット情報は信頼できないそうだから。内臓の傷の程度と、処置内容(麻薬等)によって生存可能な日数も変わってくると思うが。


もっとも私のいうことは、なんでも即座に否定するような人物だから、医学知識以前の反射的な反応だったのだろう。


腹水が抜け切って腹部の空洞が無くなった状態で、精神疾患を発症して、抑うつ状態で注意力が減退し、冷静さを欠いていた研修医が、穿刺針の向きや深さを変えて、シリンジ(注射器の筒)で陰圧をかければ、穿刺針が内臓に突き刺さって傷つける可能性があることくらい、医学の素人でも十分に想像できることではないか。


刑事には常人が普通に持つ想像力が欠落しているのだろうか。あるいは単に見ざる、聞かざる、考えざる》なのか。



        ≪≪≪母が亡くなる前の状況≫≫≫



【病院の闇(2)~(4)】より、2015年4月から6月までの母の病気の経過を簡単にまとめてみた。

4月16日要支援1の認定を受ける。

4月28日、主治医が腫瘍マーカー類は横這いないしは下がっていて血液

     検査の結果も問題ないと話す。ClassⅢのまま

5月 8日、研修医による腹水の全量抜きと、それに伴う内臓損傷

5月13日両目が真っ赤に充血タニタの体重計で体水分率が60%から80% 

   に急上昇。

5月18日退院サマリーで、一気に卵巣癌末期と主治医が記載。

5月20日2年におよぶ卵巣癌の診察で、始めて受けた余命宣告 

   が、なんといきなりの余命1ヶ月宣告。主治医錯乱した

   か。

 

   腹水の全量抜きとそれに伴う内臓損傷で、長くて一月の 

   命と主治医が推定。

 

   卵巣癌にかこつけて、でっち上げた、欺瞞に満ちた余命

   宣告。

 

   治療上の失態を糊塗した、ご都合主義で、辻褄合わせの

   余命宣告。

 

      主治医の良心はいずこにありや。

5月22日風呂で立ち上がれず、這いつくばって風呂から出る。

5月23日フェントステープ(麻薬)処方以降、訪問医の診療回数急増。

6月 3日フェントステープ倍増。以降、体力を急速に消耗。

6月10日今月一杯もたないと、訪問医が告げる。

6月12日、幻影を見るようになる。

6月13日訪問看護と訪問入浴を受け始める。

6月15日要介護3の認定を受ける。

6月22日息を引き取る。


以上のような体調の急激な悪化の原因は、腹水全量抜きと穿刺針による内臓損傷以外には考えられない。亡くなる前の数日間は、具体的には書かないが、ひどく苦しんだことを付け加えておく。


母の苦しむ姿を傍で看ていたからこそ余計に、東京医療センターの不適切な医療処置と偽りに満ちた説明を見逃すことはできない。



         ≪≪≪説明に使った資料類≫≫≫



医療事故被害相談に際して、前もって多数の文書を作成、準備しておいた。説明に使った文書は、ブログ【病院の闇(1)~(5)】を作成する際に、基にした資料と基本的に同じ内容である。


ただブログ上の画像類はブログを書く際に新たに作成したものなので含まれていない。ブログを書く際に、新規に書き加えたものもある。


刑事に渡して説明した文書類は、刑事が下僚に指示していちいちコピーさせていたので、警察署に残されているはずである。


こうした文書類は、基となる資料を数多く渉猟し、検討を重ねてまとめたものなので、私としては十分説得力のあるものに仕上がったと考えている。


ところがいかように説明しようとも、私の説明がほぼすべて否定される有様で、さながら刑事は用意したラバースタンプをひたすら押しまくっていたようなものである。


私の説明を深く考えもせず、始めから徹頭徹尾否定で押し通すつもりで相手をしていたようで、説明を進めるほどに虚しさが募ってくるばかりであった。それでも用意した文書類をできるだけ説明すべく踏ん張った。


【病院の闇(1)~(5)】の内容が、全否定できるほど偏って間違った説明になっているのだろうか。私は決してそうは思わない。刑事の思考に極端なバイアスが掛かっていたと考えるのが妥当であろう。


医療事故の内容を知っていて、受け入れる気がまったくなかったので、私の説明をごくごく事務的に、ほぼ全否定することができたのだと考える。


医療事故の内容を事前に知っていなければ、迷いもなく自信をもって否定し続けることなどできないはずである。


これが公平、公正、中立の立場であるべき警察での医療事故被害相談の実態である。
これじゃ到底被害者は浮かばれない。



           ≪≪≪報告書の作成≫≫≫



私が刑事に説明した内容を、刑事が後で報告書にまとめなければならないと言った。私の相談時間が長引けは長引くほど報告書の作成に時間を要するので、不満げに早く切り上げてくれと言わんばかりの物言いであった。


それもあってか、応対はますますぞんざいになっていったように思う。宮仕えの身であれば、相談内容を報告書に作成するのは当然であろう。相談者が納得することが重要である。


私が決して悪質なクレーマーではないことは、【病院の闇(1)~(5)】を読んでもらえれば分かるはずである。


刑事にしても私を悪質なクレーマーだと思えば、強硬に警告して、必要に応じて警察権を行使したであろう。


強行処置を取らなかったということは、クレーマーではないと認めていて、不本意ながらも私の言い分にも理があると本心では認識していたのではないか。


被害届受理を判断する権限が、刑事個人には与えられていなかったのかもしれない。ただの追い返し屋といったところか。



       警察に医療事故被害相談(2)につづく