東京医療センターの重大医療事故 ☆概要☆
母は2015年6月22日に亡くなるまで、30年以上にわたり東京医療センター呼吸器科で『肺病の後遺症』の診察と処方を受けていた。
2013年5月10日、『頻尿』で東京医療センター産婦人科の診察を受けたところ、『3月に慶応病院での研修を終えた』ばかりの主治医が、6月11日に『卵巣癌が最も疑われる』、『卵巣癌であればⅢ期以上』と診断。
その際、卵巣癌の診断は『手術で摘出したものを病理組織診断』することで『診断が確定』すると説明。
卵巣腫瘍の摘出手術も検討したが、『肺機能に問題があって予後に不安が残る』と分かり断念。
2015年1月21日、眼科の研修医が『白内障』と診断し手術が決まった。
2月6日、眼科の研修医が『心電図』検査結果を見て『心房細動の疑いがあるので、心房細動の治療を受けなかったら、白内障の手術は行いません』と告げ、循環器科の診察にまわされた。
2月9日、循環器科の医師が『心電図』の再検査結果を見て『脳梗塞の心配があり、ほって置く訳にはいかない』と診断。
2月13日に受けた『24時間ホルター心電図検査』結果は、『要観察』であったが、2月23日に『降圧薬』と『抗不整脈薬』、3月9日には『抗凝固薬』の心房細動治療薬3薬を処方された。
母は『もうそのままでいい』と一旦は断ったが、『脳梗塞になる』と脅され無理やり服用を承服させられた。
2月24日に右目、3月3日に左目の『白内障手術』を受けた。
3月30日、循環器科の医師が『通院も大変だろうから、今後は訪問医療クリニックの訪問医から薬を頂きなさい』と言って、3月9日の『抗凝固薬』処方時に作成しておいた『診療情報提供書』を母に預け、4月1日の訪問医の往診時に母が直接手渡した。3月9日の『抗凝固薬』処方後初めての診察日であった。
『診療情報提供書』には『循環器科医師の診断内容』と『処方薬の情報』のみを記載し、『24時間ホルター心電図検査』結果はなかった。
『心房細動で脳梗塞になる』と脅しておきながら、循環器科の医師は無責任にも『心房細動の診療と処方』を訪問医に『丸投げ』した。
循環器科の医師が『丸投げ』した翌々日の4月1日、訪問医の往診で『血圧104/44、脈拍41』だったので、『降圧薬』を朝だけにするよう指示された。4月6日には、さらに『抗不整脈薬』も朝だけにするよう指示された。
4月13日、予約外で循環器科を訪れ、4月1日の訪問医の診察で『血圧104/44、脈拍が41』だったので、訪問医から『降圧薬』と『抗不整脈薬』を半減するよう指示されたと循環器科の医師に相談。
循環器科の医師は、『訪問医の測定には疑問が残る』として『元通りの処方に戻す』ように指導したが、戻さなかった。
心房細動治療薬を服用したことで4月に入ると『腹部膨満感』に悩むようになり、向かいに住む東京医療センター産婦人科の元看護師長に相談したところ、『腹水抜き』を勧められた。
4月22日に元看護師長の付き添いで診察を受けたが、主治医は『穿刺は肝臓・小腸近く、現時点の量ではリスクの方が怖い』と『腹水を抜くには量が少ないと危惧』。この際、主治医が『心房細動治療薬すべての服用を止める』よう指示。
4月28日の診察で主治医は、元看護師長に『押し切られ』て腹水穿刺を決めた。
5月7日、8日、主治医は『穿刺はリスクの方が怖い』と認識していながら、『精神疾患に伴う抑うつ状態にあって注意力が減退』していた、『研修6年目』の研修医に『腹水穿刺』をまかせた結果、メインの腹水溜まりの『腹水全量が流出』して、『内臓を損傷』するという『重大医療事故』が起きた。
5月8日の『腹水穿刺』で、研修医は『700mLで自然流出が止まるまで放置』して『内臓を損傷』したのみならず、主治医から与えられた1000mLの目標めざして、さらに『(穿刺針の)向きや深さを変え』たり、『シリンジ(注射器の筒)で陰圧かけ』、遮二無二腹水を引き抜こうしたことで内臓の傷口を広げてしまった。
5月7日にメインの腹水溜まりの腹水を1000mL、8日にはさらに700mLの『計1700mL』を抜いた。
5月8日、9時の病室消灯後の10時頃から45分ほど主治医が病室に現れ、
『一番入ってほしくない路線に入ってしまった』
『全部とるのはまずいが、結局全部抜くことになってしまった』
と母に語った。
『5年足らずで4000例(2016年8月まで)におよぶ腹水治療の実績』がある、都内豊島区の要町病院腹水治療センター長の松崎圭祐医師は、『腹水が2L未満の少ない状態での腹水穿刺は危険』で、『腹部膨満感の緩和効果も乏しく』、かえってその後腹水抜きを繰り返すことになって、『死期を早める』ことになると書いている。
5月9日には『腹水穿刺で内臓損傷』したことで、『腹水穿刺』する前以上にお腹が膨らんできた。腹水を抜けば『一時的なりともお腹が楽になる』はずなのに、『腹水を抜いた翌日には以前にも増して膨らんできた』という事実が、『内臓損傷』を裏づける『明白な証拠』となる。
5月13日、朝起きたら『両目が真赤に充血』していたので、東京医療センターの眼科を予約外で受診、『結膜下出血』と診断。
5月13日夜、両目の充血と歩調を合わせるように、タニタ体重計の『体水分率データに異変』が現れ、普段は50%程度なのが、『急に80%あたりまで急上昇』。
5月18日の『退院サマリー』では、降って湧いたように『卵巣癌末期』と診断。母は卵巣腫瘍の手術はしていないので、『摘出物の病理組織診断』は受けておらず、医学的には『卵巣癌の疑い』のままであるのに、『卵巣癌』確定と『カルテに虚偽記載』。
5月20日、腹水穿刺後はじめての診察で、主治医が突発的に青天の霹靂の『余命3ヶ月宣告』。
『内臓損傷』が直接の死因となって『余命3ヶ月宣告を受けた一月後』の6月22日に母は『自宅で息を引き取った』。享年81歳。20日後の7月12日には『腹水穿刺』を行った研修医が後を追うように『過労自殺』。
母が亡くなってすぐ、かねてより母が主治医に直接お願いしていた解剖を電話で依頼したところ、
『医学的には既に診断がついていることなのです』
『いまさら解剖しても得られるものは何もありません』
と言って『解剖を拒絶』。
主治医が解剖を『頑として拒絶』したことで、医療事故の存在を事実上認めたことになる。
9月28日、東京医療センターに医療事故として調査してほしいと申し出た。担当の企画課員が『事故調査委員会を立ち上げて調査する』と応じた。
2015年12月16日、企画課員に医療事故調査の進捗状況を問い合わせたところ、『処置内容に問題はなかった』と主治医が言ったので、そのまま『調査もしないで2月半の間放置』していたと答えた。
2016年1月7日、『告訴状』をもって碑文谷警察署を訪れ、母の医療事故について相談したが、証拠となる『解剖所見』がないとの理由で受理されなかった。
1月26日、碑文谷警察署の計らいで、産婦人科の科長と主治医から母の『治療内容』について以下の説明を受けた。
『大量の腹水抜きに際し、事前に患者に説明する必要のあるリスク事項はなく、
リスクは血液検査や点滴と同じレベルである。』
『腹水抜きにリスクはないので、リスクの説明はしていない。』
3月22日、赤坂一ツ木法律事務所の弁護士と東京リベルテ法律事務所の弁護士の両弁護士と『医療事故調査』契約を結んだ。両弁護士は『医療事故研究会』の紹介。
2016年12月22日、両弁護士から『医療事故調査結果』報告書を受け取ったが、医療事故にあらずとする結論ありきの『でっち上げ報告書』で、専門医の意見書も付いていなかったので専門医による再調査を要請。
2017年6月29日、専門医の意見を面談で聴取して、両弁護士がまとめたとする報告書を受け取ったが、専門医の意見ではなく『両弁護士が勝手に創作』した、医学的合理性に欠けるピント外れの『詐欺報告書』であった。
2017年10月5日、碑文谷警察署に再び『医療事故被害相談』に訪れた。担当の刑事は、はなから迷惑顔で『威圧的、高圧的態度に終始』し、『被害届』の受理を拒否。
2018年1月12日、碑文谷警察署の刑事に新たな資料を用意したので、もう一度説明に伺いたいと電話したが、刑事は『病院を潰したいのですか』と怒鳴り返して『面会を拒絶』。
『東京医療センター』、『弁護士事務所』、『碑文谷警察署』のどこに相談しても、医療事故ではないと否定されるばかりでまったく埒が明かず、結局自分で医療事故であると証明するほかないと考え、『私なりの調査結果』をpdfファイルにまとめましたので、オンラインストレージDropboxの「闘病記」フォルダ内のpdfファイルを御覧ください。
https://www.dropbox.com/sh/1kr7ag1629iw1m7/AADiUCYwN7we9fmo3vYoXS-Ka?dl=0