tsubuyaki622の日記

母の闘病記

東京医療センターの重大医療事故 ☆病院の見解☆

 

   東京医療センターの重大医療事故 ☆病院の見解☆

 


2013年6月独立行政法人国立病院機構東京医療センター産婦人科の主治医が、母は『卵巣癌が最も疑われる』『卵巣癌であればⅢ期以上』と診断した。

 

2015年5月7日、8日、主治医の不適切な判断に基づく杜撰な管理、指導のもと後に過労自殺する研修医が、『無謀で常軌を逸した腹水穿刺処置を行って内臓を損傷』したことが原因で、6月22日に母が死亡するまでの経緯を、東京医療センターの重大医療事故 ★担当医の不可解な処置★』で詳説した。


本文では母の死亡事案を医療事故として調査してほしいと、東京医療センターに依頼した際のやり取りについて説明する。


下記ブログの記述に準拠して説明しているので、必要に応じて適宜参照されたい。

 

病院の闇_統合版

東京医療センターの重大医療事故_統合版(1)

東京医療センターの重大医療事故 ★問題点整理★_統合版

 

 

   ≪≪≪東京医療センターに医療事故調査依頼≫≫≫

 

 

2015年6月22日に母が亡くなった直後は死因は卵巣癌』と思い込まされていたが、『不可解な治療経過に対する漠然とした違和感』から、釈然としない気持ちでいた。

 

2015年5月の連休までは問題なく家事をこなしていたのが、連休明けの5月7日、8日『腹水穿刺をした翌9日にはお腹が前より膨らんできて』、以後徐々に体調が悪くなり』5月13日に起床すると『両目が真っ赤に充血』、夜にはタニタ体重計で測った『体水分率が普段の50%からいきなり80%まで急上昇』した。

 

5月20日の診察では事前の宣告が一切ないなかで、主治医が唐突に青天の霹靂の余命3カ月宣告』をした。5月23日の訪問医の処方による『麻薬で一時的に体調が持ち直した』が、6月に入ると急速に体力が衰えていき、6月10日には訪問医が今月一杯もたない』と話し、6月22日亡くなるという『急展開はどう考えても納得できるものではなかった』

 

6月29日の葬儀の後も悶々とした日々が続いたが、7月25日になってようやく『死因は卵巣癌ではなく』『腹水の全量抜き』に違いないとの思いに至った。

 

8月4日に北陸の菩提寺で法要、納骨をして一区切りついたところで、病気の経過を振り返りながら、手元の資料をもとに『医療事故に至る顛末』をまとめ始めた。

 

 

 

9月14日東京医療センターに母の医療事故の調査を依頼するにあたり、担当窓口と考えられる部署にメールで連絡をとったが、そうした部署は置いてないと返信があり、とりあえず医事課員を訪ねていくことになった。

 

9月28日東京医療センター担当の医事課員に母の『病気の経過』をまとめた資料を渡し、『腹水抜きに伴う医療事故と考える根拠について説明』した。

 

『病気の経過』を順を追って説明しているさなかに、担当の医事課員は突然、不遜にも何が言いたいんですか』『詰問してきた』ので、産婦人科の主治医に母親が殺されたということだ』と、『大声を張り上げて一喝』してやった。

 

パーティション越しには多数の事務職員がいたようで、それまでザワザワしていたのが、急にシーンと静まり返った

 

私の一喝の効果があったとみえて、この医事課員は以後神妙な面持ちで話を聞くようになった

 

説明が一通り済んだところで、母の死亡について東京医療センター医療事故として調査してほしいと依頼した。

 

担当の医事課員は、現在北海道で全国の国立病院の病院長会議が開かれていて、病院の上層部が出張しているので、『上層部が帰京しだい事故調査委員会を立ち上げて調査すると明言』した。

 

医事課員が『事故調査すると明言』したので、ひとまず肩の荷が下りたと安堵して帰宅の途に就いた。

 

 

2015年12月15日午前、待てど暮らせど一向に連絡が来ないので、担当の医事課員に電話をしたが、席を外していると言うので、折り返しの電話を頼んだ。

 

なかなか連絡が来ないので翌日まで何度か電話したが、その都度『居留守を使い雲隠れ』して電話に出ようとしなかった。

 

やっと翌16日夕方5時を過ぎた頃になって、事務室で話すには具合が悪いと考えたか、別室に抜け出して電話をしてきたようだ。

 

9月28日に依頼した医療事故調査の件の進捗状況を聞いたところ、

 

≪主治医に確認してみたが、治療は適切に行われており、何ら問題は無かったと答えたので、事故調査委員会は自らの判断で立ち上げなかった

 

と答えた。

 

まともな病院であれば、この医事課員のようなヒラの一下級事務職員に医療事故であるかどうかを最終判断する権限はない』東京医療センター東京における国立の基幹病院であろう。デタラメな話である。

 

担当の医事課員が主治医に確認した時点で、曲がりなりにも医療事故ではないと判断したのであれば、『速やかにその旨を私に連絡してくるのが責任ある対応の仕方』であるにもかかわらず、『2月半もの長期間放置』したあげく、私の問い合わせ電話にも居留守を使ってなかなか出ようとしなかった。

 

 

2月半もの間放置した理由を問いただしたが、『その点は申し訳なかった』と答えるのみで、なんの説明にもなっていない。申し訳なかったの一言で済むことではない。『連絡が遅れた理由をはっきり説明するのが責任ある対応』であるはずだ。担当の医事課員怠慢なのか、あるいは故意に放置していたのか、どちらにしても東京医療センター担当の事課員を厳しく処分すべきである。

 

2月半もの長期間放置した状況からは』医事課員の単なる怠慢とは考えにくい。怠慢でないとすれば自信をもって堂々と医療事故ではなかった私に伝えられない何か『不都合な事情、理由があって』『故意に放置』したということになろう。

 

つまり確かに医療事故であったが、素直に認めるわけにはいかない。認めてしまったら、東京医療センターの評価が急落し、患者に敬遠されて診療報酬が急減し、病院経営に重大な影響が及ぶと考え、なんとかして有耶無耶に済ませようと、敢えて放置することにしたということであろう。

 


『ガキのいたずら』じゃあるまいに、放置しておけば有耶無耶になって責任追及を逃れられる』と考えるとは、あまりに未熟で愚かな行為である。担当の医事課員『デブな図体をした大きな子供、つまりマヌケ』である。

 

そもそも『医療事故であったかどうかの判断を、当事者である主治医に委ねること自体あり得ないこと』で、まともな医療事故調査の体を成していないのは明白である。

 

医療事故調査というのは、『事故当事者を外した第三者で構成される委員会で行うべき』ことである。担当の医事課員事故調査の基本もわきまえておらず『まともな判断、思考能力に欠ける無知、無能の役立たず事務職員』である。

 

この医事課員の説明には納得しかねることが多々あったので、さらなる説明を求めて問いかけても、『こちらの話を聞こうともしないで、大声でわめき散らすばかり』で、『果てしない怒鳴りあいの応酬が続いた』あげく、ついには『失礼しま~す』と言い(屁を)放って、『一方的に電話を切ってしまった』『最低限の説明責任さえ果たせない』『誠意と責任感に欠けた実に未熟でお粗末な事務職員であった。

 

 

担当の医事課員医療事故の事実をはっきりと認識していた』がゆえに、『一方的にわめき散らすことで話をかみ合わせないようにした』あげく、ついには『形勢不利とみた負け犬』追及から逃れるように『ケツまくって最後っ屁を放って逃げだしてしまった』

 

この『超メタボの豚野郎』の態度には抑え難いほどの強い憤りを覚えたが、『まともな会話も成り立たず、正常な判断、思考能力も欠いた無責任で無能なデタラメ事務職員』相手ではまったくお手上げであった。

 

国の出先機関東京医療センターでは、この医事課員のように『最低限の説明責任すら果たせない』無責任かつ愚昧で、箸にも棒にもかからないクズ職員でも下級公務員としての職にとどまれるようだ。

 

『末端の無能で無責任な職員の専横がまかり通る東京医療センターが、まともな組織の体を成しているとは到底言えまい

 

病院の評価は、医師の能力、経験、知識、誠実さ』は言うに及ばず、事務職員の説明能力、責任感、信頼感、態度』からも下せるが、この医事課員を見れば分かるように、東京医療センターの事務職員はお世辞にも信頼するに足るとは言えないので、何かことが起きた際に誠意ある対応を期待するのは無理』であろう。

 

ほかに選択肢があれば、東京医療センターでの受診を避けるのが賢明』であろう。

 

 

東京医療センターをこれ以上相手にしても埒が明かないと諦め、警察に相談することにした。

 

2016年1月7日東京医療センターを所管する碑文谷警察署に、産婦人科の主治医ほかを被告訴人とする『告訴状を提出』したが、『解剖所見がない』との理由で受理されなかった

 

母が亡くなった直後に産婦人科の主治医に解剖をお願いしたが、『主治医は解剖を断固拒絶するという強固な意志を持って対峙』してきたため、不本意ながら『解剖を断念せざるを得なかった』

 

母が亡くなった時点では、卵巣癌が死因と思い込んでいて『腹水穿刺が関係していたとは認識していなかったため、『主治医による医療事故原因隠滅のための、悪辣で狡猾、陰険な企みを見抜けず』渋々解剖を断念させられたことの重大さを、後になって思い知らされることになった。主治医の悪意を見抜けなかったことが悔やまれてならない

 

 

主治医のこの時の卑劣極まりない説明態度』は生涯忘れない。自分でした説明をよく反芻してみたまえ、主治医。お前さんの生涯の『重い十字架』になること間違いなしだ。

 

なにせ『医療事故の決定的な証拠を、責任を免れんがために悪意を持って故意に消し去った』のだから。もっとも主治医にしてみれば、『してやったり』との思いでいることだろう。根が悪党だから』、コイツは。

 

告訴状は受理されなかったが警察の計らいと力添えで東京医療センター産婦人科の医長と主治医から、『母の治療内容について説明を受ける』ことになった。

 

東京医療センターは、主治医が単独で説明すると言ってきたが、医療事故当事者である主治医の説明は、医事課員の話からも分かるように、自身に都合のいい説明に終始すると考え、医長の同席を求めた。

 

 

        ≪≪≪産婦人科医長の説明≫≫≫

 

 

医長は、慶応大学医学部卒で、現在産婦人科科長

 

2016年1月21日18時から19時半まで東京医療センターで、母の治療内容について疑問点を医長に問いただした。ただ、この時点では『腹水を全量抜かれたことは認識していた』が、『カルテ入手前で内臓損傷の事実には気づいていなかったため、医療事故の細部まで深く掘り下げて聞くことができず』悔いが残った。


医長の説明≪≫で示す。

 

≪余命3カ月宣告は、卵巣癌がかなり進行していたから

過去の診察から総合的に診断した。腹水抜きは関係な

。≫

 

余命1年、半年を飛ばしての突然の3カ月宣告ではない

2年前の初診時から癌はかなり進行していて余命という表現こそ使わなかったが癌の進行状況を随時説明していた。≫

 

 

どこかの国の議会答弁のように、一見そつなく説明しているように見える』が、内実は『現実離れした空理空論を得意げに弄んでいるだけ』で、誠実に答えようとする意思が感じられない。的外れな持論を展開』する医長による虚しい説明がこの後も続いた』

 

 

主治医が2013年6月11日から卵巣癌の疑いで毎月診察』してきたが、この間一度も余命宣告など受けていなかった』のに、『2年後の2015年5月20日になって『初めての余命宣告で突発的に晴天の霹靂の≪余命3カ月宣告≫をした。

 

この際、主治医は病名には一言も触れなかった』が、『抜き取った腹水の病理組織診断報告書』滔々と読み上げてから余命3カ月宣告をしたので、『卵巣癌を前提とした余命3カ月宣告』なのであろう。

 

2015年5月18日『退院サマリー』にも、主治医は根拠についての説明もなく』取って付けたように』『卵巣癌末期と記載』していることからも、『卵巣癌を前提にした余命3カ月宣告』であったようだ。

 

『卵巣癌末期との記載は、まったくの創作、つまりでっち上げ、捏造診断』である。これが東京医療センターの流儀』であろう。事実に基づかない創作診断はご法度である。

 

 

≪余命3カ月宣告≫というのは、余命宣告のなかでも『最終段階に近い宣告』であるのに、それを『初めての余命宣告で突発的にした』ところに、底知れぬ『胡散臭ささを感じる』。もっとも主治医のようなヘボ医者であれば、不都合な事実を隠蔽して苦し紛れに、ためらうことなくこうした宣告ができるのだろう。なにせ『殺しのライセンス』があるのだから。

 

主治医の余命3カ月宣告は、まともな医師ではあり得ない『医学的合理性と根拠を欠いたたわごと』に過ぎず、主治医の『医師としての見識、識見が厳しく問われる宣告』である。

 

主治医による卵巣癌での余命3カ月宣告が、『医学的に不合理でつじつまが合わないことは、素人でも直観的に理解できる』。医長と主治医は現実を直視せず『卵巣癌という妄想の世界に逃避して、深い闇の中に精神の安らぎを求めた』。まことに愚かしく滑稽な姿』である。

 

真相は2015年5月8日の腹水穿刺の際に主治医の指揮のもと、研修医が不適切な処置で『内臓を損傷』して取り返しのつかないことをしてしまったため、『卵巣癌にかこつけて、その場しのぎの≪余命3カ月宣告≫をしたもので、医療過誤の事実を覆い隠して責任逃れを図る意図』があったことに疑問の余地はない。

 

『故意に事実を捻じ曲げて自己に都合の良い診断』を下すのは、医師の倫理規範に反する悪質な所業』であり、患者、家族に対する重大な背信行為』になる。関係当局よりしかるべき処分が下されるべき案件である。

 

母は『手術を受けていないので摘出組織の病理組織診断をしておらず』『卵巣癌であるとの確定診断はなされていない』のに、≪卵巣癌がかなり進行していた≫と、医長は強引に『事実を歪曲して虚偽の説明』をした。医師のモラルに反する由々しき言説である。

 

 

2014年10月22日には、主治医自身が『奇跡が起きた』というほどに劇的に体調が持ち直しており』、さらに11月26日の主治医のカルテには、『腫瘍一部壊死を疑うエコー像あり。診察上は腫瘍は縮小。』とある。悪化どころか、逆に回復に向かっていた』

 

2015年5月20日の余命宣告に至るまでの主治医のカルテのどこにも≪卵巣癌がかなり進行していた≫との記述を見い出せない。

 

2015年4月28日腫瘍マーカー図を見ても回復傾向が見て取れる』。医長は一体全体何を根拠に≪過去の診察から総合的に診断した≫と言っているのか。明確な根拠もなく断言するところをみると、医長は『重度の夢想的虚言癖のある特異なキャラクターの持ち主』のようだ。

 

 

2015年5月8日に研修医がカルテに『腹水700mlで流出止まった。向きや深さを変えたり、シリンジで陰圧かけるも引けず。』と記述していることからも、腹水抜きの際に内臓を損傷したことに疑いの余地はない。

 

それにもかかわらず≪腹水抜きは関係ない≫と医長は虚偽説明をしている。医長としての立場、責任の重さの自覚もなく、医学的な根拠が不明な誠意に欠ける説明をした。

 

卵巣癌ではなく、『内臓損傷で余命3カ月宣告』をしたのであれば、つじつまが合うが、医長が『意固地になって卵巣癌に固執するから胡散臭い説明になる』のである。

 

≪余命という表現こそ使わなかったが≫とあるが、そもそも卵巣癌の疑いの病状が悪化しているわけではなく、むしろ好転しているのだから、『あえて余命に言及する必要もなかった』はずだ。

 

≪癌の進行状況を随時説明していた≫とあるが、2014年秋から2015年4月26日の診察まで、主治医のカルテには≪癌がかなり進行している≫との記述は一切なかった』むしろ回復傾向にあるという説明があるのみである。

 

ブログの病院の闇_統合版』には、2013年6月から2015年6月までの辻浩介主治医のカルテの主要部分を、時系列にすべて添付してあるので、関心のある方はぜひ見ていただきたい。

 

 

実際には余命1カ月しかなかったのは、正確に時期を予測することはできないから

 

≪2015年4月28日の腫瘍マーカー、血液検査から判断した

のではなく過去の診察内容から総合的に判断して、相当程

度がんが進行していた

 

 

母は主治医から『卵巣癌の疑いと診断』されていたが、『卵巣癌と診断が確定していたわけではない』

 

2015年5月20日≪余命3カ月宣告≫は、5月8日に研修医が腹水穿刺で内臓を損傷してしまったことで、余命幾ばくも無いと判断した主治医が、重大な医療事故である『内臓損傷の事実を隠蔽すべく』巧妙に卵巣癌にすり替え、隠れ蓑にして』、でっち上げた≪余命3カ月宣告≫であった。

 

余命宣告するにあたって狡猾無比な主治医は、目くらましに使う目的で『抜き取った腹水の病理組織診断報告書を滔々と読み上げ』、あたかも『卵巣癌が原因であるかの如く装って余命宣告』したが、明確に『卵巣癌で≪余命3カ月と宣告≫したわけではなかった』

 

つまり『卵巣癌を装ったのは患者、家族を欺くための単なるカムフラージュ』で、実際は『内臓損傷で余命幾ばくもないと判断』していて、持ちこたえてもせいぜい1カ月と認識』していた。

 

ただ初めての余命宣告が1カ月では患者、家族の受ける衝撃があまりに大きすぎるのと、『2年もの間卵巣癌の疑いで毎月診察』をしていたのに、初めての宣告がいきなりの余命1カ月宣告』では、いくらなんでも卵巣癌を理由とするには『医学的合理性、説得力に欠けると考え』、とりあえずより無難なところで余命3カ月と宣告をしておき、1カ月で亡くなっても、≪正確に時期を予測することはできない≫として言い逃れる魂胆であった。

 

 

≪2015年4月28日の腫瘍マーカー、血液検査から判断したのではない≫と説明する医長の思考プロセスは理解不能である。医学的判断の根拠となる検査データを脇に置いて≪過去の診察内容から総合的に判断≫とは、あたかも『検査データに基づく現代医療を否定するかのごとき神がかり的な診断』『説得力に欠けた荒唐無稽な説明』に堕している。

 

医長には『なにか得体の知れないものが憑依』しているのか。これは正気の沙汰ではない。

 

医長の言う『総合的に判断』は、『短絡的に判断』に過ぎない。説得力ゼロの説明で、誰も納得させることはできない。総合的(短絡的)などと言ってないで、具体的な根拠を示して丁寧に説明してもらいたい

 

≪過去の診察内容≫についても、主治医のカルテのどこにも、2014年秋以降卵巣癌が悪化しているとの記述はない。もちろん≪相当程度がんが進行していた≫との記述もない』カルテに基づいて話すのが、医師としての最低限の務めであろうが。

 

医長の『際限のない夢想的虚言癖には辟易』するばかりである。よくもまあこれほど曖昧、大雑把で説得力に欠ける説明ができるものだ』と妙に感心させられる。医長という重い責任を伴う立場にいることをよく自覚したうえで説明してもらいたい。

 

 

腹水抜きは、血液検査や点滴と同じでリスクはなく家族へのリスク説明や同意書も必要としない処置です

 

点滴するのに、いちいち家族に説明して同意書をとりますか。≫

 

大量の腹水抜きに際し、事前に患者に説明する必要のあるリスク事項は無い点滴と同じレベルである。≫

 

腹水抜きにリスクはないのでリスクの説明はしていない腹水抜きはよく行われる処置で、特殊なものではない。≫

 

 

2015年4月22日に主治医はカルテに、『穿刺は肝臓・小腸近く、現時点での量ではリスクの方が恐い』とはっきり書いている。医長の≪腹水抜きは、血液検査や点滴と同じでリスクはない≫との言葉は明らかな虚偽説明である。またまた『夢想的虚言癖』が、でた~~。

 

血液検査や点滴は看護師が主に処置するのでリスクはほぼ無いと言えようが、医長は産婦人科医長の立場にありながら『腹水抜きのリスクを血液検査や点滴と同列にみなしている』とは、理解不足も甚だしい愚かでお粗末な思い込み』である。医局の看護師が陰で『医長は何も分かってない』とせせら笑っている』ことだろう。

 

腹水抜きは≪家族へのリスク説明や同意書も必要としない処置≫ではなく、『家族に事前にリスク説明をして、同意書を取る必要がある処置』である。医長に対していちいち腹水抜きの基本を説いて聞かせなければならないとは、まことに厄介で手がかかる困った御仁である。

 

現実に研修医が腹水穿刺で内臓を損傷している事実からも、事前に家族にリスク説明をして同意書を取る必要があった

 

 

≪点滴するのに、いちいち家族に説明して同意書をとりますか。≫には、『論点をずらして、はぐらかそうとする意図が見え見えである。誠実、真摯に説明しようとする意識が決定的に欠落』している。

 

≪事前に患者に説明する必要のあるリスク事項は無い。点滴と同じレベルである≫。こんなこと言ってると医長自身の『無知、無能、無理解をさらけだすだけだ。バカ丸出し』なことを言うのもいい加減にしなさい

 

≪腹水抜きはよく行われる処置で、特殊なものではない≫と話しているが、都内要町病院腹水治療センター長の松崎圭祐医師による以下の説明のように、実は『とんでもなく危険で慎重に判断すべき処置である。

 

 

【腹水を抜くと、『体力維持に必須のアルブミン(栄養分)』や『グロブリン(免疫関連物質)』等のタンパク質も腹水と一緒に抜き取られてしまうため、急速に体力が低下して全身状態が悪化し、死期を早めてしまう。】

 

【腹水が2L未満の少ない状態での腹水穿刺は危険で、腹部膨満感の緩和効果も乏しく、かえってその後腹水抜きを繰り返すことになって、死期を早めることになる。】

 

 

因みに母の腹水穿刺では都合1700mLで流出が止まった。つまり『危険領域の腹水量しかなかった』。もちろん腹水量が少ないことは主治医が事前に超音波エコー装置で確認していた

 

 

腹水はあちこちに分散して存在しているので、全部を抜き取ることなどできません

 

腹水抜きは正常に処置されており、何も問題はなかった。≫

 

急激に衰弱が進み、全身衰弱死したのは、腹水抜きとは関係なく末期癌の症状である

 

 

≪腹水はあちこちに分散して存在している≫を否定する気はないが、要は分散している腹水の量の問題である。大部分の腹水はメインの腹水溜まりにあり、メインの腹水溜まり以外の腹水量は微々たるものである。

 

その微々たる量の腹水を持ち出して、≪全部を抜き取ることなどできません≫というのは、『論点をすり替え、はぐらかしている』だけである。医長の誠意のなさが露骨に現れた言葉である。リニア工事の足を引っ張るどこかの県の知事みたいである。

 

2015年5月8日に研修医はカルテに『腹水700mlで流出止まった。向きや深さを変えたり、シリンジで陰圧かけるも引けず』と記している。

 

研修医が『腹水穿刺で内臓を損傷したのは明白』なのに、≪正常に処置されており、何も問題はなかった。≫とは、『どの面下げて言うてんのか』。医長が『正常な医学的判断能力を持ち合わせているとは到底考えられない』東京医療センターは医長の医師としての能力、資質について一度精査してみる必要があろう。

 

 

2015年4月28日に主治医は診察で、『4/24採血の血液検査は、腫瘍マーカー類は横ばいないしは下がっており、血液検査の結果も申し分ない』と話している。それがなぜ5月8日の腹水穿刺後、6月に入って≪急激に衰弱が進み、6月22日に全身衰弱死した≫のか。

 

研修医が『腹水抜きで内臓を損傷したのが原因』であることに疑いの余地はない。

 

2013年6月の主治医の診断は、『卵巣癌が最も疑われる』『卵巣癌であればⅢ期以上』であった。その後Ⅳ期に悪化したとの診断は受けていない』

 

しかも母は手術を受けていないので『手術で摘出した組織の病理組織診断もしておらず』『卵巣癌であるとの確定診断はされていない』のに、いかなる根拠をもって『末期癌の症状と断定』できるのか。

 

根拠を示してほしい。『総合的に判断ではなんの根拠にもなりえないよ』、言っておくけど。

 

要するに、医長は自己に都合よく『診断をでっち上げている』だけである。『空想的虚言癖亡者の真骨頂発揮』である。

 

 

≪特異な死因でない通常死では解剖は一般にしない。今回の事例でも解剖の必要はなかった。≫

 

≪腹水抜きによる衰弱が死因であるということは、解剖からは判断できない。≫

 

 

内臓損傷が強く疑われるにもかかわらず、主治医が断固として解剖拒絶したのは、『内臓損傷の事実を隠滅せんとする』強い意志があったからである。

 

内臓損傷による衰弱死が≪特異な死因でない通常死でないことは明白である。

 

そもそも母は手術を受けていないので『摘出した組織の病理組織診断をしておらず』『卵巣癌であるとの確定診断もされていない』ので、『死因は未確定』である。『病理解剖で死因を特定するのが担当医師の責務』である。遺族である私も強く解剖を要望したが、主治医が断固として阻止した。

 

≪腹水抜きによる衰弱が死因である≫と解剖から判断できないのはその通りであろうが、『解剖をすれば内臓損傷が死因であると確定できる』。だからこそ主治医は解剖を全力で阻止』した

 

死因が確定していないのに、解剖を拒絶した主治医は、医療事故の責任を回避するため、『医師に課せられた責務を故意に回避して、真相を闇にほおむろうとした医師の倫理規範に反した悪質、悪辣で卑劣極まりない悪徳医師』である。主治医を厳正に処分すべきである。

 

後々のためにも、こうした医師に対する追及の手を緩めてはならない。

 

 

      ≪≪≪解剖拒絶時の主治医の説明≫≫

 

 

ここで主治医が解剖を拒絶した際の説明≪≫を振り返ってみる。

 


こちらで解剖するための手続きは煩雑で、ものすごく大変ですよ。

 

車の手配もありますし。≫

 

診察の際に話には出ましたが、正式に約束したわけではありません。≫

 

医学的には既に診断がついていることなのです。

 

いまさら解剖しても得られるものは何もありません。≫

 

解剖することに、何の興味も関心もないし、意味もないことです。

 

 

≪解剖するための手続きは煩雑で、ものすごく大変≫と言っているが、どれほど大変な手続きが必要なのかは知らないが、そんなこと『事務的に粛々と進めればいいこと』であろう。

 

手続きが大変だというのであれば、主治医なり、事務職員が手続きの仕方を教えてくれればいいだけではないか。

 

手続きが大変ということを口実にして』『なんとしても解剖を断念させたい思い』が露骨にあらわれた言葉である。

 

 

≪車の手配もありますし≫とは実に下らないことを言うものだ。そんなの葬儀社に依頼すれば済むことである。なんだかんだと言っては、なんとかして解剖を断念させようとしている

 

解剖する気があれば、車の手配の方法を事務職員に調べさせて教えてくれればいいのに、一切教えようとはしていない。ただただ『一途に解剖断念に持ち込みたいだけ』である。

 

もし『病院の規定で解剖できないというのであれば、『当病院の規定により解剖を受け付けることはできません』正面切ってはっきりと説明すべきであろう。そんな規定などあるはずもないが

 

 

≪診察の際に話には出ましたが、正式に約束したわけではありません。≫と言っているが、『2年に渡って毎月診察』していて、母との間にしっかりとした信頼関係が築かれていたのに、信じられないほど冷淡で非情な物言い』をするものだ。『百歩譲って正式に約束してなくても』『遺族が希望すれば解剖に応じるのが医師が負う責務』である。拒絶はできないはずだ。

 

母は早い段階から、『今後の医学の進歩に役立ててほしいと考え』死後の剖検を主治医に頼み主治医も快諾』していたので、『私が死んだらすぐに主治医に連絡して解剖してもらってね』と、つねづね話していた。

 

2014年8月8日放射線科医から主治医への他科依頼返信に『死後剖検のこともある様で、在宅死を希望されつつも、当院での剖検も希望されています。』と記されている。一時的に治療を受けた放射線科医にさえ話しているのに、『2年に渡って毎月診察していた』主治医と約束してないわけがないだろ。ウソつくのもいい加減にしろ、『このクズの大バカ者が』

 


≪医学的には既に診断がついていることなのです≫というのは、主治医の良識、見識が強く疑われる悪意に満ちた大嘘』である。

 

2013年6月11日の主治医によるインフォームド・コンセントには、『卵巣癌と診断が確定した訳ではない』『卵巣癌の診断は手術で摘出したものを病理組織診断することで診断となる』と明記している。母は亡くなるまで『一度も手術を受けていない』ので、『診断は確定していない』

 

自分でカルテに書いたことを、こうまではっきり否定するとは、主治医というのは、『医師である以前にひとりの人間としてまったく信頼のおけない変質的異常人格の持ち主である。患者はすべからく主治医を忌避すべきであろう。主治医は現在、慶応病院婦人科の医師である、念のため。

 

 

≪いまさら解剖しても得られるものは何もありません≫とは、お前さん本当に医者かいと聞きたいね。『死因不明のケースでは必ず解剖をして死因を特定するのが担当医としての責務』である。警察でもこうしたケースでは解剖する

 

『解剖する前から解剖しても得られるものは何もないと軽々に断言』するとは、アンタ透視力でも持ってるのかい解剖しても得られるものは何もないのであれば、解剖業務そのものが必要でなくなるし、解剖医の存在意義もないことになる。これだけ『解剖について無理解で道理も分かっていない』ようでは、医師の資格などない。医師なんかさっさと廃業したまえ。

 


≪解剖することに、何の興味も関心もないし、意味もないことです≫とは、ただただ主治医には呆れるばかりである。母は生前に手術を受けなかったので、『卵巣癌の疑いのままで、診断は確定していない』遺族も解剖を強く望んでいたのだから、主治医は『解剖して診断を最終的に確定させる責務がある』はずだ。

 

主治医が母の解剖に興味、関心があるとか、ないとかの問題ではない』解剖は主治医が果たさねばならぬ義務である。医師として自らに課せられた義務を果たすことに≪意味もないこと≫とは『心得違いも甚だしい大バカ者の言葉』だ。医師としての初心に帰って姿勢を正しなさい

 

主治医は『噓八百を並べ立てて』、なんとしても遺族を解剖断念に追い込もうとした。主治医としての『倫理観も責任感もへったくれもまったく持ち合わせていない』呆れるほど堕落した劣悪で下劣な悪徳医師である。

 

これだけ『屁理屈を並べ立てて』、解剖を阻止しようとする主治医の言動からは、『解剖をしたら主治医にとって極めて不都合な真実が露見』してしまい、自身に対する評価、さらには東京医療センターの評判にも甚大な影響を及ぼすと認識していたことが分かる。

 

 

解剖さえすれば、主治医がなんと言い繕おうと、内臓損傷の事実が明白になって『問答無用で死因を確定することができた。

 

解剖拒絶は内臓損傷の事実が露見するのをなんとしても避けたかったためで、『遺族の強い意向を無視してまで主治医が解剖を拒絶』したことで、主治医は内臓損傷が死因であると、事実上認めたも同然である』

 

あくまで卵巣癌が死因と言い張るのであれば手術、解剖もしてないのに『死因は卵巣癌とした自身の診断内容に合理的疑いの余地がないことを、カルテ等の客観的な証拠に基づいて説明してみたまえ』できなければ『卵巣癌が死因ではなく、内臓損傷が死因と認めたことになる』客観的に明確な根拠もなく、卵巣癌が死因であると主張するものではない。医師としての矜持を示してみたまえ、主治医

 


主治医が『能力と資質に欠けた医師』とは知らず、母は絶大な信頼を寄せていたが、残念ながら期待は完璧に裏切られた

 

そのうえ『解剖をなんとしても阻止せんとする主治医の悪辣な策略に見事にはめられて』て、死因を解明するうえで決定的に重要な意味を持ち、客観的証拠にもなる『解剖を受ける遺族の正当な権利を奪われてしまった』

 

真実が封印されたことで陰険、下劣な主治医が粘り勝ちを収めたようにもみえるが、『カルテや母の残した記録類を詳細に検証すれば、容易に内臓損傷という真実に辿り着くことができ』『主治医の負けが確定』する。

 

 

詰んでるのがまだ分からないのか、ヘボ医者。潔く投了したらどうだ。恥っさらしの愚か者。

 

 

医長による説明と、主治医の解剖についての説明を逐一解説してきたが、全体を通して言えるのは、『十分な知識、情報を持たない素人相手ならいい加減な説明でもバレることはない』高を括って真摯に遺族に向き合い、誠実な説明で理解を得ようとする姿勢が著しく欠けていて、随所に『夢想的虚言を弄して論点をずらし、はぐらかそうとする』不遜不心得な態度』が露骨に現れていたことである。

 

『誠意なくデタラメな説明に終始』する医長との話し合いは、残念ながら収穫が乏しく期待外れに終わった。

 

ただ一つの収穫は、『医長、主治医ともに信頼に足る医師ではなく』東京医療センターが安心して命を預けられる病院ではない』ことがはっきりと分かったことである。


この後、山下医長の勧めで2016年2月9日600頁余のカルテを入手した。

 

 

          ≪≪≪主治医の説明≫≫≫

 

 

主治医は日大医学部卒産婦人科医師。

 

慶応病院での研修を終えて東京医療センターに赴任した直後の2013年5月から母が亡くなる2015年6月22日までの2年間駆け出しの医師ながら主治医として』母の『卵巣癌の疑い』の診察を担当。

 

『母の死の20日後の2015年7月12日に過労自殺した研修医が、2017年8月に労災認定されたと記者発表された直後の同月中に主治医は『慶応病院婦人科に移動』

 

研修医による医療事故を指揮した医師を転籍させて隠蔽を図ったと考えられる。『医療事故の直接の責任者が栄転』するとは不可解千万である。東京医療センターには自浄能力が欠けている』と言わざるを得ない。

 


主治医の説明≪≫で示す。

 

 

循環器科の処方薬メインテート(降圧薬)、シベノール(抗不整脈薬)、

エリキュース(抗凝固薬)すべての服用中止は、母がお腹が辛いというので止めさせた。≫

 

緊急に腹水を抜いたのは、腹部が大きくなって苦しそうだったので応じた。≫

 

 

2015年4月22日『無能で、無分別な循環器科医師が処方した心房細動治療薬3種の服用中止』を、主治医が指示したのは正解だった。連休中の5月4日頃になると『服用中止の効果が現れてきて、母はお腹がかなり楽になって、身のこなしも自然に近くなった』

 

主治医が服用を止めさせたのは、循環器科医師の処方薬の中でも特にエリキュース(抗凝固薬)の作用で、血小板が減少して血液が漏れ出し腹水が増加して母のお腹を辛くさせていたと考えたからであろう。

 

そうであるならば服用中止を決めた後、もうしばらく『時間をかけてしっかり経過観察すべき』であった。

 

ところがまともに経過観察することなく、6日後の4月28日には早くも腹水抜きを決めている『あまりに拙速、性急、軽率な決定』『浅慮の極み』であった。

 

主治医は4月22日の診断で、『穿刺は肝臓・小腸近く、現時点での量ではリスクの方が恐い』と話している。

 


都内要町病院腹水治療センター長の松崎圭祐医師は腹水抜きの注意点として、

 

【腹水が2L未満の少ない状態での腹水穿刺は危険で、腹部膨満感の緩和効果も乏しく、かえってその後腹水抜きを繰り返すことになって、死期を早めることになる。】

 

と書いている。

 


これは『経験ある看護師でも認識している基本的な事項』である。連休明けの5月7日、8日にメインの腹水溜まりから抜き取った腹水量は都合1700mLであった。

 

『医学の常識からしても腹水穿刺する状況ではなかった』ということである。

 

 

向かいに住む東京医療センター産婦人科元看護師長が『4月22日に続き28日の診察にも同席して、腹水抜きをせかした』であろうことは容易に想像がつくが、あくまでも最終決断者は医師である主治医である。

 

慎重な配慮を欠いた主治医の判断で腹水抜きを決め』、担当の研修医が『腹水穿刺で内臓を損傷したことが原因で、母は命を落とすことになった』

 

『主治医の性急で軽率な判断が母の死に直結』した事実からも、腹水抜きを決めた辻浩介主治医が『母の死に対して極めて重大な責任を負っている』ことは明白である

 

≪腹部が大きくなって苦しそうだった≫としても、『腹水穿刺をするには腹水量が少なく危険である』主治医自身が認識していたわけだし、1700mL程度の腹水を抜いても腹部膨満感はほとんど解消されないのだから、絶対に腹水を抜くべきではなかった』『主治医の無謀で軽率な判断が、母の死という重大な結果に結びついた』ことに異論はないはずだ。

 

 

≪腹水抜きを決めて、連休明けに入院と急いだのは、母が是非にというので応じた前々から腹水抜きのプラス面の効用は説明していた。≫

 

 

≪前々から腹水抜きのプラス面の効用は説明していた≫というのは断じて容認できない話である。

 

2015年4月に母が向かいに住む東京医療センター産婦人科元看護師長に腹部の張りについて相談した際に、『腹水抜きはリスクもなく、お腹が楽になる処置で、健康を害することもないと聞かされていた』ようで、母は『腹水抜きを驚くほど楽観的に受け止め、無警戒でいた』。母は『腹水を無用なただの水』と思っていたようだ。

 

元看護師長に対する絶大な信頼感から『腹水を抜けば死期を早めることになるとは知らないで』≪是非に≫と言ったのかもしれない。

 

『素人である母に腹水抜きの是非を判断できるはずもない』。それでも≪是非に≫と言ったのであれば、『腹水抜きの安全性と腹部膨満感の緩和効果を深く信じ込まされ』ていて、『一抹の不安も感じていなかった』ことになる。

 

2015年4月22日の時点で、主治医は『はっきりとリスクの方が恐い』とカルテに記し、腹水抜きには否定的』であったにもかかわらず、4月28日に母が≪是非に≫と言って腹水抜きを求めたのであれば、間違いなく元看護師長に『そそのかされ、たぶらかされた結果』であると断言できる。

 

 

元看護師長は後に国立国際医療研究センター『看護部長まで務めたほどの長い看護師経験』から、『腹水抜きを始めれば確実に死期が早まることくらいは十分理解』していた。

 

元看護師長が、母の腹水抜きを『自身にとって都合の悪い、母のあまたの記憶を合法的に消し去る千載一遇のチャンス』考えたであろうことは想像に難くない。母は元看護師長の『だまし討ちにあった』ことになる。『深い信頼に対する裏切り行為』以外のなにものでもない。

 

若き看護師時代の元看護師長が、半世紀近く前に医師の養女となって、向かいの家で暮らすことになって以来の母との長い付き合いであるが、こうした縁さえなければ、母が腹水穿刺で死ぬこともなかっただろうにと思えてならない。

 

長い付き合いのある身近な人をだますことなど、善良な人にできることではない。人命にかかわる看護師という職業に長く身を置いていた立場にありながら、元看護師長が『母をあざむいてまで危険な処置を受けさせた』ことに、言いようのない憤りを覚える。赦せない。

 

母にとってはまったくの想定外の出来事であった。元看護師長の底知れぬ心の闇の深さを垣間見た思いがする

 

 

主治医の説明で注視すべき点は『腹水抜きはプラス面よりマイナス面の方がはるかに大きく、安易に実施すれば寿命を縮めることになる』という、重大なポイントが抜け落ちていた』ことである。

 

母が仮に≪是非に≫と言ったとしても、『腹水抜きについてなんの知見もない母が、元看護師長に勧められるままに、操り人形のごとく言ったまでであることくらい、主治医も容易に理解できていたはずである。『腹水穿刺実施の責任を母に転嫁するような言い方』をするとは、主治医は医師としての矜持のない無責任極まりない愚物である。

 

 

医師であれば現在の腹水量から考えて『穿刺は内臓損傷のリスクがあるうえに、腹水を抜けば体力が落ち、以後腹水抜きを繰り返すことになって、結果的に死期を早めることになる』はっきり説明すべきであった。

 

さらに『腹部膨満感の緩和効果も、現時点の腹水量ではほとんど期待できない』と説明し、『腹水抜きは危険であると説得して、実施しない』のが医師としての責務であったはずだ。

 

『危険な処置であると承知のうえで』『はいはい、そうですかと言って安易に腹水抜きに応じる』ことなど主治医として無責任の極みであり、医師の職務規律、倫理規範に反することである。厳しく責任を問われるべきである。

 

それでも産婦人科元看護師長は、なんとしても腹水抜きをさせようと粘っただろうが、主治医として毅然とした態度で退ければよいことである。

 

主治医は母の腹水抜きから解剖阻止に至るまで、元看護師長に『教唆され操られた自主性、自立性に欠けた芯のない腑抜け医師』であった。

 

 

都内要町病院腹水治療センター長の松崎圭祐医師による腹水抜きの注意点をまとめると、

 

【腹水を抜くと『体力維持に必須のアルブミン(栄養分)』や『グロブリン(免疫関連物

質)』等のタンパク質も腹水と一緒に抜き取られてしまうため、急速に体力が低下して

全身状態が悪化し、死期を早めてしまう。】

 

となる。

 

 

主治医がプラス面については説明しても『マイナス面についてしっかり説明しなかった』ということは、医師に課された説明責任をないがしろにした言語道断の所業である。

 

腹水抜き決断の際に、主治医は医師としての注意喚起義務を怠って、患者に対する背信行為を働いた

 

主治医はそもそも『腹水抜きのマイナス面について十分に理解していない』がために、『軽い気持ちで腹水抜きを実施した』と考えられる。はっきり言って『医師失格』である。

 

リスクの方が恐いという主治医の認識は、主に腹水穿刺の際に内臓損傷することを懸念してのことだったようだが、『仮に内臓を損傷しなくてもメインの腹水溜まりの腹水を全部抜いてしまえば、急速に体力が低下して死期を早めてしまう』という点については、ほとんど認識していなかったのではないか。

 

主治医の知識、経験の絶対的な不足と、日々の地道な研鑽を怠ったことが母の死という重大な医療事故に結びついてしまった』あまりに未熟で能力不足の新米医師で、到底主治医が勤まるレベルではなかった

 

 

腹水を抜いたのに腹部が更に膨らんだのは、腹水は抜いてもすぐに溜まるもので、いたちごっこになる

 

 

2015年5月7日、8日に腹水を抜いた翌9日に母は日記に、『水抜きをした後からずっと膨らんで来るお腹』同じく9日の母の病気メモには『前よりもっと膨らんで来るお腹』と書いている。

 

≪腹水は抜いてもすぐに溜まる≫というのは分かるが、すぐにというのは決して数日という単位ではないはずだ。『腹水を抜いた翌日には、腹水を抜く前よりもっとお腹が膨らんできた』というのは正常な腹水抜きでは絶対にあり得ないことである。

 

腹水を抜けば、しばらくの間はお腹が楽になるものだし、楽になることを期して腹水を抜くのである。『腹水を抜いた翌日にはさらにお腹が膨らんできたというのであれば、腹水を抜く意味が全くないどころか、絶対に抜くべきではなかった』ということになる。

 

 

≪腹水を抜いたのに腹部が更に膨らんだ≫のは、腹水抜きが原因ではなく、腹水抜きの際に『内臓を損傷して、内臓から体液が漏れ出した』ことが原因であることの確かな証左であり、なにびとも否定することのできない確たる証拠である。解剖所見の代用に十分なりうる

 

これほどはっきりした証拠があっても、主治医は内臓損傷が原因ではないと言い張っている『理解力が決定的に不足し、道理をわきまえていない落第医師』である。

 

主治医は『合理的思考ができないヘボ医師つまりバカ』である。事実を事実として受け入れられないのなら、さっさと医師免許を返上した方がいい。

 

主治医には『腹水抜きによる医療事故との認識がない』ようで、当然『自省もしてない』だろう。このような医師を『野放しにしておくと同様の医療事故が再発する恐れがある』『医療現場から外す』なりなんなり、なんらかの手を打つ必要があるのではないか。

 

 

≪腹水を全部抜いてしまったと母に言った覚えはない≫

 

 

2015年5月13日訪問医の診療レポートに、『全部とるのはまずいと言っていたのに、結局全部抜くことになってしまいました。』と母が訪問医に話したことが記録されている。

 

5月8日の研修医のカルテには、『腹水700mlで流出止まった。向きや深さを変えたり、シリンジで陰圧かけるも引けず。』と記されている。

 

前日5月7日1000mLと合わせて都合1700mLで腹水の自然流出が止まった』ということは、『メインの腹水溜まりの腹水が全部抜け出た』ということである。

 

医長のように、≪腹水はあちこちに分散して存在しているので、全部を抜き取ることなどできません≫などと『つむじ曲がりのアホトボケ』なことは言わないことだ。

 

主治医は自分で話したことも、覚えていないと言っているが、これは『悪辣、非道な奴らの常套句』である。証拠が残っているのだから、素直に認めたらどうだ

 

 

腹水を抜く前に家族に説明しなかった点については申し訳なかったと思っています。≫

 

 

申し訳ないなどと、後から謝られても元に戻せない。

 

リスクを伴う処置をするのに、事前に家族にリスク説明をして、同意書を取るのが本来の手順であるはずだ。

 

≪腹水抜きは、血液検査や点滴と同じでリスクはなく、家族へのリスク説明や同意書も必要としない処置です≫との医長の説明は誤っていると、主治医が事実上認めたことになる。

 

『事前のリスク説明さえ受けていれば、再考する余地があり、危険な処置に進むことを防げた』であろうことを考えると、返す返すも悔やまれてならない。

 

 

主治医が母にプラス面だけを説明していたと話しているところをみると、そもそも『リスクについての認識そのものが希薄で、マイナス面についての知識が決定的に不足していた』ことになり、意味のある説明にはならなかったかもしれない。

 

東京医療センターでは『リスクのある処置をする際に患者、家族にリスク説明をして、同意書の提出を求めるという基本的な手順を踏まない』ようだ。東京医療センター医療機関としてのモラルが極めて低い異常体質の病院』である。

 

主治医のような腹水抜きのマイナス面についての理解が乏しい駆け出しのヘボ医師が、腹水抜きを指揮すること自体常軌を逸している』

 

主治医が腹水抜きについての十分な知識を持ち合わせていないのに、軽率に腹水抜きに突き進んだという事実からしても、主治医が能力、資質に欠ける医師で、東京医療センターでの受診そのものが大きなリスクが伴うもの』であったということになる。

 

他に選択肢があれば、東京医療センターを敬遠するのが患者にとって賢明な判断』となろう。因みに主治医は現在、慶応病院婦人科医師として勤務している。

 

 

以上が東京医療センター医事課員、産婦人科医長、同主治医の説明とその解説である。『ゴマカシを常套手段とする』『デタラメ三人組』には、なにを言っても『蛙の面にションベン』で、理にかなったまともな説明が返ってくることもなく、手ごたえのない問答のすえ幕切れとなった。

 

この連中の辞書には一般社会では当たり前の資質と捉えられている『誠実、良識、責任』といった言葉が見当たらないようだ。健全な社会生活を営むうえでの前提となるこうした資質に欠ける職員が所属する東京医療センターは、どこか異質で信頼感の乏しい組織といえよう。

 

 

『無責任な連中による身勝手でデタラメな説明』に、虚しさがつのるばかりであった。

 

 

詳しくはオンラインストレージDropbox「闘病記」フォルダ内pdfファイルを御覧ください。

https://www.dropbox.com/sh/1kr7ag1629iw1m7/AADiUCYwN7we9fmo3vYoXS-Ka?dl=0