病院の闇(3)からつづく
≪≪≪訪問介護受け始める≫≫≫
2015年6月13日、訪問看護と訪問入浴を受け始める。
2015年6月15日に介護認定員が来宅して、介護認定を受け『要介護3』
(1~5)と認定された。
2015年4月16日の『要支援1(1~2)から僅か二月で要介護3(1~5)』へと
4段階も悪化した。もちろん腹水全量抜きと内臓損傷が原因と考えられる。
2015年6月16日ネットで腹水を検索して、腹水には体を維持するのに必須
のアミノ酸等の大事な栄養分が大量に含まれていて、血管やリンパ管を通
して体中を循環しており、決して無駄な排水のようなものではないことを
初めて知った。
【2015年6月17日 訪問医診療レポート】
「要町病院の腹水治療に関しては、現段階では侵襲が大きいのでお勧めし
ません。」
「入院加療は、家で過ごしたいというご本人の意向にも反することになっ
てしまいます。」
「現在はとてもよい状態でコントロール出来ていますので、ベッド上で安
静に過ごすようにしてください。」
ーーーーーーーーーー
《主治医とは違って、訪問医は腹水抜きを勧めないと、至極まともなこと
をいっている。腹水穿刺を繰り返すという主治医の考え方は理解不能。
一体全体、何を考えていたのか。》
『腹水全量抜きに伴う重篤化』について、主治医は完全スルーを貫き、訪
問医(および院長)と元師長も事実上スルーした。
主治医と元師長は、腹水抜きの当事者だから、スルーした理由も容易に
想像がつく。
訪問医(および院長)の場合は、『患者斡旋の依存関係に伴う忖度』から、
へたに動けば厄介なことになると考えて、事なかれ主義に徹し、波風立て
ずに流れに任せて、傍観を決め込んだのであろう。
【2015年6月18日 訪問医院長診療レポート】
「お腹の張りが強いので足の浮腫も少し悪化しています。痛みのコントロ
ールは出来ていますのでこのまま様子を見させてください。身の置き所
がなくて辛そうですね。」
「ゆっくりと休めなくなるようでしたら張り薬を増量しましょう。」
ーーーーーーーーーー
2015年6月18日、訪問医院長から要町病院のKM-CART法で腹水を抜く
ことについて、『今そんなことしたら死んでしまうよ』と言われる。
《つまり、主治医が考えている腹水穿刺の繰り返しは、確実に死に至らし
めるものであるということ。主治医は腹水穿刺繰り返しの危険性につい
て、十分に認識できていないのではないか。腹水穿刺について主治医は
再教育を受けるべきである。》
2015年6月19日、2度目でかつ最後の訪問入浴を受ける。日中眠り続ける。
2015年6月20日、痰を大量に出す。苦しがるのでオプソを飲ませる。
【2015年6月20日 別の訪問医診療レポート】
「一昨日辺りから仰向けで寝るようになりました。この方が熟睡できるよ
うです。仰向けで寝るようになってから楽になっているようです。食事
はゼリーやメイバランス、エンシュアなどを組み合わせながらです。」
ーーーーーーーーーー
2015年6月20日10時、最後の訪問医の診察を受ける。
≪≪≪卵巣がんⅢ期で死亡→解剖依頼≫≫≫
2015年6月に入って、日々急速に体力を消耗していき、寝たきりの状態が
続いたが、とうとう2015年6月22日朝自宅で帰らぬ人となった。余命は主
治医が宣告した3カ月ではなく、たったの1カ月であった。
腹部は”b”の字のようにへそから下が極端に膨らんだ異様な姿であった。
ClassⅢの卵巣がんによる死と考えるには、あまりに突発的で急激な衰弱
のしかたで、どう考えても不自然で不可解な病状悪化であった。
何かあったら元師長に連絡するようにと、母から日頃言われていたので、
すぐに近所に住む元師長に診てもらい、解剖を主治医にお願いする旨
伝えた。このあと訪問医院長に連絡した。
訪問医院長は死亡診断書を書くにあたり、病名は何ですかと聞いてきた。
いくらなんでも1年半も訪問看護をしていて、病名は何ですかはないでし
ょう。自ら『卵巣がん』と書くことに、『ためらいと後ろめたさ』を感じ、
少しでも責任を回避したかったのか。
医師は、病名も分からないのに死亡診断書を書けるのか。あるいは病名を
遺族から聞いて、そのまま死亡診断書に書いていいのか。
つづいて産婦人科の主治医に連絡したが、席を外しているとのことで、折
り返しの電話をお願いした。
主治医からの電話を受け、かねてから母が主治医と約束していた剖検をお
願いした。
母は早い段階から、『今後の医学の進歩に役立ててほしい』と考え、死後
の剖検を主治医に頼み、主治医も快諾していた。
主治医は元師長から既に母の死を知らされていて、解剖依頼への対応策
を元師長と事前に話し合っていたようだ。
≪≪≪主治医が解剖を拒絶≫≫≫
私の解剖依頼に、主治医は躊躇なく、
『こちらで解剖するための手続きは煩雑で、ものすごく大変ですよ。』
『車の手配もありますし。』
『診察の際に話には出ましたが、正式に約束したわけではありません。』
『医学的には既に診断がついていることなのです。』
『いまさら解剖しても得られるものは何もありません。』
『解剖することに、何の興味も関心もないし、意味もないことです。』
《正気か、苦し紛れの言い逃れか。》
と冷淡に言い放ち、いくらお願いしても、取りつく島もない、極めて消極
的かつ否定的な返答しか得られず、やむなく解剖を断念させられた。
《この病院での解剖手続きが、いかに煩雑で大変か知らないが、そんなも
の必要な書類を整えればいいだけのこと。主治医はそんなことも分から
ないのだろうか。まったくお役所体質丸出しの病院。》
《車の手配は葬儀社に頼めばいいこと。》
《話題になったということは、母の解剖希望を当然知っていた。百歩ゆず
って仮に正式な約束がなくても、解剖することになんの障害もない。》
《腹水を検査しただけで、手術も解剖もしていないのに、既に診断はつい
ていると断言できるのか。『卵巣がんが死因ではない』かもしれないの
に。》
《主治医には、なにか『特殊な未知の能力』が備わっているのか、はたま
た、ただの・・・。》
《主治医は2013/6/11のカルテICに
『卵巣がんと診断が確定した訳ではない。手術で摘出したものを病理組
織診断することで診断となる。』
と書いている。何言ってるんだろ。》
《母も私も死因の特定が目的ではなく、純粋に今後の『医学の進歩に役立
ててもらう』目的で、解剖してほしいとお願いしただけなのに、主治医
はなにを勘違いしたのか。心に何か『やましいもの』でもあったのか》
《医学の進歩のためとはいえ、解剖すれば『不都合な真実』例えば内臓
損傷などが出てきてしまうと恐れ、頑なに解剖を拒絶したのか。主治医の
真意は不可解千万。というか実は明々白々。只々ヤバイゾというだけ
のことだろう。》
《解剖しても得られるものが何もないのなら、病院ではなぜ手間ひまかけ
て解剖を行っているのか。主治医は医学教育を受け直したら。》
《とにかく体を張ってでも、『解剖を絶対阻止』するんだという主治医の
必死の意気込みだけは、十二分に感じ取ることができた。》
《腹水抜き前の『ジキル博士』が、腹水抜き後に『ハイド氏』に変身した
のではないかと思わせるような、主治医の言動には強い不信感を持った。》
母は生前事あるごとに、
『今後の医療の進歩に少しでも役立ててもらうため、主治医に解剖しても
らう約束をしてあるから、亡くなったら直ぐに主治医に連絡して解剖し
てもらってね。』
と、それこそちょっと語弊がある言い方ではあるが、医学へのささやかな
貢献と考え、人生最後の楽しみのように語っていたが、主治医の不誠実な
対応で希望を断たれてしまった。何ということだ。
≪≪≪解剖拒否した主治医カルテ≫≫≫
この時点で腹水抜きが死因との認識が私にはまったくなく、母の遺言通り
医学の進歩のためとだけ考えていたので、これ以上強く押すことができな
かった。
【2015年6月22日 8:58 外来 医事課 カルテ】
「ご家族より。今朝、お亡くなりになられたとのこと。
本人と○○先生(主治医)の間で亡くなった際は病理解剖をするといった
話はなかったでしょうか ?
Dr主治医 対応」
【2015年6月22日 9:26 主治医カルテ】
「6/21夜間より呼吸苦増悪され永眠
2015/6/22自宅にて永眠されたと連絡あり
往診Drにて死亡確認していただけたとのこと」
「死因は病死で明らか、遺族の方と相談し病理解剖は実施せずとした」
ーーーーーーーーーー
《6/21夜間より呼吸苦増悪というのは、元師長には自宅で説明したが、主
治医には電話で、ただひたすら解剖のお願いをしただけで、呼吸苦憎悪
などとは話していない。》
《電話では最初から解剖する、しないのせめぎ合いの中で、呼吸苦憎悪に
など話が及ばない。主治医は元師長から知らされたことを、私が話した
と勘違いして書いたのであろう。語るに落ちたか。》
《相談によっては、解剖することもありということか。私は執拗に懇願し
たけど。》
《なんの予告もなく突然余命3カ月と宣告しておきながら、死因は病死
で明らかで解剖せずとは、どういうことか。》
≪≪≪卵巣がんが死因なのか≫≫≫
既に診断はついていると強調しておきながら、訪問医と同様の『後ろめた
さ』からか、カルテの最後には単に『病死』とのみ書き、『卵巣がん』と
は書いてない。
解剖を必要としないほど、はっきりと診断がついていても、カルテには単
に『病死』とだけ書いて、『病名』は書かないものか。
遺族の願いを断固『拒絶して』を、『相談して』に変えるとは。循環器科
の医師もそうだけど、何でも『相談して』に置き換えるのが、この病院の
流儀か。
《悪い冗談。》
亡くなるまでに行った検査で、診断に利用できるようなものは、腹水抜き
後の病理組織診断報告書だけであるが、これで医学的に診断が確定
したのか。はたして名医なのか、迷医か、はたまた・・・。
【病院のホームページ】には、
『死亡した患者の解剖をできる限り行って、治療内容の検証を行い
以後の治療に役立てていきたいが、現実には遺族が遺体を傷つけ
られることに抵抗を感じて、なかなか実施率を上げられない。』
と記されている。
遺族である私は解剖を懇願したのに、いまさら解剖しても得られる
ものは何もありませんと、主治医に拒絶された。
《病院のホームページの記載によれば、病院側もできる限り解剖したい
と考えている。遺族が解剖を懇願しているのに、主治医が解剖を拒絶
したことを、病院はどう考えるのか。主治医の判断に問題はないのか。》
≪≪≪研修医の過労自殺≫≫≫
2015年7月4日になって、訪問医院長が焼香に来宅。1年半に渡って月2回
(約36回ほど)訪問看護を続けたアルバイトの女性訪問医は結局焼香に現
れず。
訪問医院長はその場で、
『早く忘れたほうがいいですよ。』
と妙なことを言った。
《一体どういうこと。》
《なんで早く忘れる必要があるの。》
《忘れられるわけがない。》
『《早く忘れて、みんな無かったことに。》』
という意図だったのか。
《それは無理な注文。》
2015年7月12日、腹水抜きを施行した『研修医が過労自殺』。もちろんそ
の時点では公表されなかったので、知る由もなかったが、2年後の2017年
8月10日に東京新聞等で『労災認定』の報道があり、研修医の自殺の事実
と『病状』を知った。
報道では病院名、研修医名共に『なぜか伏せて』あったが、日本産科婦人
科学会雑誌の会員入退会告知ページで、研修医の『死亡退会日と過労
自殺した日が一致』することを確認。
【2017年8月10日 東京新聞朝刊】
「独立行政法人国立病院機構が運営する東京都内の病院に勤務していた
三十代半ばだった産婦人科の男性研修医が二年前に自殺したのは、長時
間労働で精神疾患を発症したのが原因だとして、品川労働基準監督署
(東京)が労災認定していたことが分かった。遺族の弁護士が九日、記者
会見して明らかにした。認定は七月三十一日付。」
「弁護士によると、男性は二〇一〇年四月に医師免許を取得し、一三年四
月から、この病院の産婦人科に勤務。一五年四月以降、抑うつ状態や
睡眠不足、注意力の減退などの症状が見られるようになり、精神疾患を
発症。同年七月十二日に都内で自殺した。」
「遺族側代理人の弁護士は会見で「病院は男性が長時間労働に従事して
いたことを認識していたにもかかわらず、十分なサポート体制を取って
いなかった」と批判。背景に深刻な産婦人科医不足があるとも指摘した。
病院側は「会見内容を把握しておらず、答えられない」としている。」
【2017年8月9日 BuzzFeedNEWS】
「病院の寮の自室はものが散乱した状況だった。冷蔵庫には何も入ってい
なかった。公共料金の支払いも滞っていた。『亡くなる直前の5月、6月
には道交法違反(信号無視)』を起こしているという。」
《5月には研修医が腹水を全量抜き、6月には母が死亡している。》
≪≪≪病院に事故調査依頼≫≫≫
母が亡くなってからの一月余、死因と思い込まされていた『卵巣がん』に
ついて、頭では分かっていたつもりでも、気持ちの上ではなにか釈然と
せず、違和感を感じていた。
5月末までは日常生活をそれほど問題なく送っていたのに、なぜあれほど
急激に体調を崩して亡くなってしまったのか。
日々ぼんやりとあれこれ想いをめぐらしていたが、7月25日になってやっ
と、死因は『卵巣がん』ではなく、『腹水の全量抜き』とするのが、合理
的で辻褄が合うと考えるに至った。
2015年9月28日、病院の医事課員に私がまとめた『病気の経過』を渡して、
調査を依頼。
医事課員は、現在全国病院長会議で、病院の上層部が北海道に出張中なの
で、帰京しだい事故調査委員会を立ち上げて調査すると返答した。
2015年12月15日、待てと暮らせど一向に連絡が来ないので、電話をしたが
居留守を使い、雲隠れして出ず。翌日まで何度も電話をして、やっと夕方に
電話を受けた。
私の問い掛けに、
『主治医に問い合わせたところ、治療は適切に行われており、何ら問題は
無かったということだったので、事故調査委員会は自らの判断で立ち上
げなかった。』
と返答。
《主治医に問い合わせただけで、事故調査は必要ないと最終判断するとは、
なんといういい加減さ。》
《ならばなぜすぐにその旨連絡してこないのか。2月半もほっておいた理
由が理解不能。しかも催促しても、居留守を使って電話にもなかなか出
ようとしなかった。》
《事故調査委員会を立ち上げるといった重大な事項を、一介の医事課員
が独断で取りやめることができるのか。できるとしたら、実にデタラメで、
チャランポランな組織ということ。》
《公務員崩れの規律の乱れた組織では、こんなことは日常茶飯事か。》
さらに私が質問を続けようとしても、こちらの話も聞こうとしないで、
何やら一方的に大声で喋りまくったあげく、話が終わってもいないのに、
『失礼しま~す』と言って、一方的に電話を切ってしまった。
調査結果を文書で報告するようメールで催促しても、なしのつぶてでうや
むやにされた。
公務員崩れの愚劣な人間の専横が許されるようなこの病院は、まったく
もって組織の体をなしていない。
この病院は医師も事務員も、どこまでいい加減な組織なのかと憤慨し
つつ、こんな病院を相手にしていても埒が明かないとあきらめ、警察に相談
することにした。
2016年1月7日、病院の所管警察署に告訴状を提出したが、解剖をして
いないとの理由で告訴状は受理されなかった。
《主治医が断固として解剖を拒否しようとした理由が理解できた。刑事
被告人になるのを恐れたわけか。なんと狡猾な主治医。》
ただ、警察の計らいと力添えで、産婦人科の医長と主治医に会って、
説明を聞くことになった。
≪≪≪病院(医長)の公式見解≫≫≫
2016年1月21日に、母の治療内容について、産婦人科の医長と主治医から
説明を受けたので内容を紹介する。
その場で医長は、
『余命3カ月宣告は、卵巣がんがかなり進行していたから。過去の診察か
ら総合的に診断した。腹水抜きは関係ない。』
『余命1年、半年を飛ばしての突然の3カ月宣告ではない。2年前の初診時
からがんはかなり進行していて、余命という表現こそ使わなかったが、
がんの進行状況を随時説明していた。』
《主治医のカルテでは、初診時からClassⅢのままで、余命3カ月というほ
どに、がんがかなり進行していたとは一言も書かれてない。》
《そもそも、なんで『いきなり余命3カ月』になるのか。ヤバイことになったら、
この病院独自のやり方で、いきない余命3カ月で逃げようとするのか。》
『実際には余命1カ月しかなかったのは、正確に時期を予測することはで
きないから。』
『2015年4月28日の腫瘍マーカー、血液検査から判断したのではなく、過
去の診察内容から総合的に判断して、相当程度がんが進行していた。』
《腫瘍マーカーや血液検査結果をスルーして、総合的に判断とは、なんと
『御都合主義の判断』であることか。》
《具体的かつ説得力のある説明をしないで、総合的に判断したなどという
『曖昧で抽象的』な表現をするのは、『ゴマカシ論法』の典型。》
《そもそも具体的に説明できような、裏付けとなる根拠を欠いているから、
曖昧な表現に終始するのだろう。嘆かわしく、愚かしい医長。》
『腹水抜きは、血液検査や点滴と同じでリスクはなく、家族へのリスク説明
や同意書も必要としない処置です。』
『点滴するのに、いちいち家族に説明して同意書をとりますか。』
『大量の腹水抜きに際し、事前に患者に説明する必要のあるリスク事項は
無い。点滴と同じレベルである。』
『腹水抜きにリスクはないので、リスクの説明はしていない。腹水抜きは
よく行われる処置で、特殊なものではない。』
《だから家族への説明も同意書も省いて腹水を抜いたということらしい。》
『腹水はあちこちに分散して存在しているので、全部を抜き取ることなど
できません。』
《卓見か、ただの詭弁か。》
『腹水抜きは正常に処置されており、何も問題はなかった。』
『急激に衰弱が進み、全身衰弱死したのは、腹水抜きとは関係なく、末期
がんの症状である。』
『特異な死因でない通常死では解剖は一般にしない。今回の事例でも解剖
の必要はなかった。』
『腹水抜きによる衰弱が死因であるということは、解剖からは判断できな
い。』
《医長は偏差値の高い私大の出なのに、この程度の認識しかない。》
《医長と医長が統率する産婦人科医局全体の再教育の要なきや。》
《精神疾患を発症した研修医が、腹水を全量抜いて廃棄。研修医はまもな
く過労自殺。それでも腹水抜きに何も問題はなかったと言い張るのか。》
《素人相手なら適当で曖昧な説明でも、ごまかせると考えているのか。》
≪≪≪主治医の説明≫≫≫
以上が医長の説明で、主治医は他に、
『循環器科の処方薬メインテート、シベノール、エリキュースすべての服用
中止は、母がお腹が辛いというので止めさせた。』
『緊急に腹水を抜いたのは、腹部が大きくなって苦しそうだったので応じ
た。』
《循環器科の処方薬を2015年4月22日に止めた後、5月4日頃には、かなり
楽になっていた。急ぐ必要はなかったのではないか。》
『腹水抜きを決めて、連休明けに入院と急いだのは、母が是非にというの
で応じた。前々から腹水抜きのプラス面の効用は説明していた。』
《母に医学的な知識などなく、かりに是非にと言われたからと言って、は
いそうですか、ではないはず。マイナス面についても十分に納得のいく
説明が必要なはず。そうすれば、母は断念したはず。》
《前々から腹水抜きのプラス面の効用を説いていたのは、主治医ではなく
元師長ではないか。主治医はどちらかと言えば、しぶしぶその流れに乗
せられたのではないか。とは言っても、最終決定をした責任者が主治医で
あることに変わりはない。》
『腹水を抜いたのに腹部が更に膨らんだのは、腹水は抜いてもすぐに
溜まるもので、いたちごっこになる。』
《だったら抜いたことに何の意味もなく、いたちごっこを繰り返して、
急速に寿命を縮めるだけの、極めつけの超愚策ではないか。》
《腹水を抜いた次の日には、もうお腹が膨らんできた。腹水抜きは一体
何だったのか。次の日にはお腹が膨らんできたのは、内臓損傷が原因
ではないか。》
『腹水を全部抜いてしまったと母に言った覚えはない。』
《2015-05-13の訪問医の診療レポートに全部抜いてしまったと記録されて
いる。》
『腹水を抜く前に家族に説明しなかった点については申し訳なかったと思
っています。』
と説明した。
以上が『病院(産婦人科医長、主治医)の公式見解』である。
最後に医長が、説明に納得がいかないのならカルテを入手して、自身で内
容を確認してみてはどうですか、と勧めたので、2016年2月9日に入手した。
以上が母の卵巣がん診察から、死に至るまでの『大まかな流れ』である。
病院とのやり取りはここまで。
≪≪≪総括≫≫≫
一言でいえば、ひとえに『病院の選択を誤った』ことが誤算のはじまり。
元師長の説明と信頼から、母はこの病院で最高の医療を受けていると
信じ込んでいたため、病院を変えるという選択肢はなかった。
『愚鈍で無責任な循環器科医師』と、『無謀で不誠実な産婦人科主治医』
とのめぐり合わせの悪さ。元師長による腹水治療方針への介入を許した
主治医の無定見。
循環器科医師は脳梗塞になると脅して、抗凝固薬等を処方しておきながら、
その後まともな診察もしないで、訪問医にすべて『丸投げ』するという、
無責任極まりない対応をした。
循環器科医師に体調不良を訴え、訪問医から処方の減薬を指示されたと話
しても、自身の処方の現状維持を求めるような、状況変化に的確に対応で
きない『ボンクラ医師』にめぐり合った不運。
抜いた腹水はすべて廃棄するという、この病院方式の腹水抜きはすべき
でなかった。腹水は一度抜いても、すぐに溜まって、また抜くという繰り返し
になり、体力を急速に奪って死期を早めてしまう。
2015年4月22日に循環器の処方薬をすべて止めた後、5月4日頃には、体調
もかなり良くなっていたので、慌てずじっくりと様子見をしていれば、腹水
抜きの必要はなくなっていたはず。
さらに言えば循環器の処方薬も、脳梗塞の脅しに屈せず服用しなければ破
局を迎えることはなかった。循環器の医師は診察を訪問医に丸投げするく
らいいい加減だから、止めてもよかった。というより止めるべきだった。
循環器の医師が、ホルター心電図の結果が『要観察』であったことを、母
に知らせなかったため、判断しずらかった面はある。医師としての説明責
任と告知義務に反した無責任医師。
病院では保険診療点数稼ぎのノルマがあるのか。ノルマ達成のために、無
駄な検査や不要な処方を繰り返すのか。
だとすればノルマの犠牲になって、利用されるだけの無知な患者は哀れで
ある。不要な処方で新たな病気になって、悲しい結末になることもある。
もはや職員でもない産婦人科の元師長が治療方針に介入し、主治医自身
がリスクを危惧していた腹水抜きに話を進めてしまった。
主治医は、腹水量が少ない(最終的に1700ml)と分かっていながら、初日
に1000ml抜いた後、『エコー装置で確認もせず』、翌日も1000mlに抜く
という『杜撰で無謀な目標』を立てて、研修医に実施させたため、腹水全量
流出となったうえに、内臓を損傷させてしまったことで、体調が著しく悪化
した。
さらに腹水抜きを実施したのが精神疾患を発症していた研修医という、最
悪の取り合わせになったことが、母の死を早めることになった。
腹水抜きをするなら、要町病院のKM-CART法のように抜き取った腹水を
濾過、濃縮して点滴で戻す方法をとるべきであった。
治療過程で重大な問題が起きると、病院は偽りの説明で隠蔽を図るので、
真相にたどり着くのは簡単でない。
私自身に意欲、根気、時間があり、参照できる記録類も多数残されていた
ので、どうにか真相に迫ることができたが、容易なことではなかった。
病院から紹介される訪問クリニックは、『患者斡旋の依存関係』から、病
院の治療内容に対してたとえ疑問を抱いても、『病院への忖度』もあって
必ずしも有効な助言をしてくれるとは限らない。
大病院だからと言って、決して安心できるものではない。大病院には医師、
研修医も数多く、個々に見ればそれこそピンキリで、キリに当たることも
当然念頭に置く必要がある。
大病院は多くの研修医の実地訓練の場にもなっているので、熟練医師に
よるしっかりした指導、監督がないと思わぬ結果を招くこともある。
病院の管理体制がしっかりしていないと、元師長のような部外者によって
治療方針が歪められたり、医師、研修医の健康管理がおろそかになって、
想定外の問題を生じることもある。
精神疾患を発症していた研修医に、大事な医療措置をまかせる病院
の管理体制には大いに問題がある。
研修医等の職員の健康管理もまともにできないような病院が、患者の
健康管理に万全を期すことができるのか。
最後に呼吸器科や放射線科では、しっかりとした説明に基づき診察、
治療を受けることができたことに感謝する。
かなり長くなりましたが拙文を読んでいただいた方に、多少なりとも
参考になるような情報を提供できたのであれば、まとめ甲斐があった
というものです。
≪≪≪病院の医療関係者≫≫≫
【都内総合病院産婦人科医師(主治医)】
出身私大とは別の偏差値の高い私大の附属病院で研修を終え、2013年4月
にこの病院に赴任。翌5月に母を診察し、ClassⅢの卵巣がんと診断。2015
年6月22日に母が亡くなるまでの2年余、主治医として診察を続けた。
主治医の診察はすごくフレンドリーであったと母は話していた。病院の廊
下で母を見かけると、背後から母の両肩を抱えて驚かせ、親しく言葉を交
わしたことが少なくとも2回あり、内1回は私も見ている。
主治医は研修医時代、当時まだ現役だった元師長に(たいへん)お世話に
なったと母に話している。
こうした関係から元師長は、主治医に母の腹水抜きを要請しやすかったよ
うだ。
主治医を偏差値の高い私大の出身と思い込まされていたことで、若いけど
優秀な医者であると母は話していた。
2017年8月10日に研修医の労災認定が報道されると、主治医はその月
のうちに研修を受けた大学病院の産科に移動、栄転。
同時に一時的だったかも知れないが、労働基準監督署の指導を受けてなの
か、産婦人科所属の医師が大幅に入れ替わり、1名を除く他全員が偏差値
の高い私大出身者となり、なぜか研修医は0名となった。
研修医の過労自殺報道を受けての急な移動と推察される。
大学病院の直轄病院なので、自在に医師を移動させることができるようだ。
【同病院産婦人科後期研修医(研修医)】
地方の国立大学を出て、九州の民間病院で初期研修を終えてから、こちら
の病院に移り2013年4月から後期研修中であった。
精神疾患を発症して、抑うつ状態で注意力が減退した状態で、母の腹水を
抜く処置を行ったが、注意不足から全量を抜いて廃棄した。この際、内臓
に損傷を与えた可能性も否定できない。
2015年5月、6月と二月続けて、道交法違反(信号無視)している。
母の死の20日後の2015年7月12日、職場に姿を現さず失踪、同日午後
都内で自殺。2年後の2017年7月31日に労災認定された。
《2017/8/10 東京新聞朝刊記事》
【同病院循環器科医師】
循環器科で、医長に次ぐナンバー2で、50歳台の都内私大出身の医師。
若い医師や研修医を指導する立場にあるベテラン医師であるはずなのに
・・・。
≪≪≪病院外の医療関係者≫≫≫
【同病院産婦人科元看護師長(元師長)】
産婦人科の看護師長、さらに都内の同系列の大病院の看護部長を務めて
(定年)退職。
母が腹水抜きの処置を受けた時は、元師長はこの病院の元職員の位置づけ
であった。
母とは元師長の先々代からの付き合いで、元師長の2人の子供には永年ピ
アノを教えていたので、実に4世代にわたる長い付き合いとなる。
こと医療に関しては、母は元師長に全幅の信頼を置いていた。持病の肺病
のこともあって、体の具合が良くない時は、しばしば相談にのってもらって
いた。
元師長がまだ現役のころ母に、
『うちの先生方は、みな(偏差値の高い)私大(の附属病院)から来てい
るんですよ。』
と話していたので、母は額面通り受け取って、自分を診てくれる医師は主
治医を含め、みな優秀な(偏差値の高い私大出の)先生たちばかりだと
思っていた。
だからと思うが、待合室で母が、
『私は今ここで最高の医療を受けていると思うの。ここでダメだったら、
もう諦めるしかないわね。』
と私に話したことがある。
こうした信頼感から、病院の診療内容に疑問を持つこともなく、素直に
医師の指示に従い、判断を任せきっていた。
【訪問看護クリニック院長(訪問医院長)】
都内中堅病院の循環器内科に勤務した後、訪問看護クリニックを開院。
母は当初、区役所で紹介された別の訪問クリニックを利用するつもりでい
たが、病院の相談室でこちらのクリニックを積極的に勧められたので、訪
問看護をお願いすることにした。
病院とは元受け下請けの関係でもあり、病院の処置内容に疑問を持っても、
病院に不利になるようなことには口をつぐもうとしていた。
2014年初頭に母の訪問看護をスタート。母が腹水を抜くまでは、アルバイ
ト医師が月2回診察に訪れていたが、腹水を抜いたあと容体が日増しに悪
くなると、アルバイト医師と代わる代わる、院長が頻繁に診察に訪れるよ
うになった。
このクリニックの基本費用は、後期高齢者医療保険の1割負担で月1万円
(税別)だったので、月2回、1回当たり20分程度の訪問診療で、10万円の診
療報酬を得ていたことになる。はたしてこれだけの費用に見合うだけの診
療サービスを受けていたのか。特に腹水抜き後の医療処置、助言、指導に
ついて。
【訪問看護クリニック医師(訪問医)】
ほかの病院を産休中に、週1回水曜日午前だけアルバイト勤務する女性の
内科医師。2014年初頭から1年半の間、月に2回母の訪問診察を続けた。
病院の闇(5)へつづく