tsubuyaki622の日記

母の闘病記

病院の闇(3)

 

           病院の闇(2)からつづく

 


        ≪≪≪腹水抜き2日目≫≫≫



【2015年5月8日 9:00 主治医カルテ】

「昨日の穿刺部より2cm下方より腹水穿刺実施
 主治医/研修医」


「腹水性状淡黄色で変わらず」


1000mL目標にドレナージ
 抜針後はしっかりとガ一ゼで圧迫固定を」

 


          ーーーーーーーーーー

 



【2015年5月8日 9:24 研修医カルテ】

TAUS下に18Gにて腹水穿刺施行 流出良好


1000ml抜去目標


          ーーーーーーーーーー

 


【2015年5月8日 10:16 研修医カルテ】

腹水700mlで流出止まつた
 向きや深さを変えたり、シリンジで陰圧かけるも引けず。」

腹水穿刺終了とした。」

 




            [2015-05-08研修医カルテ]

 


          ーーーーーーーーーー

 


【2015年5月8日 16:37 看護師カルテ】

9:00 腹腔穿刺実施。
 バイタルサイン:オーバービュー参照
 18Gロングサーフローにて右腹部穿刺
 淡黄色腹水流出あり気分不良訴えなし」


9:30 BP90/54まで低下あるが、
 頭部軽度ギャッジアップしたほうが楽とのことで様子みる。」


9:45 腹水流出ストップしたためDr報告(排液700ml)
 BP 99/55 気分不良なし 呼吸苦なし」


10:15 Dr研修医にて刺入部角度変更し、
 シリンジで陰圧かけるが腹水流出なし

 抜針しガーゼ保護、エラテックスにて圧迫固定する。
 7日の穿刺部軽度発赤・腫脹あり。」


「血圧低下なく経過。2日でtotal 1700ml腹水排液しているため飲水励行
 し、血圧変動注意していく。」

 




           [2015-05-08看護師カルテ]

 

          ーーーーーーーーーー



《流出が止まったと看護師から連絡を受けても、現れたのは連絡の30分後
 である。》


7日に1000ml8日に700ml合計1700ml全量抜いた

 


【2015年5月8日 母の日記】

 二日目午前中早くから水抜きにかかるが700ccで出なくなる。
 ○○、○○様、見舞いに来て下さる。

 『一番入ってほしくない路線に入ってしまった』由。

 『22時から45分ぐらい○○先生(主治医)来室。』


 ○○先生(呼吸器医師)も午前中早くから来室して下さる。





     [2015-05-08母の日記]

 


【2015年5月9日 10:29 看護師カルテ】

「独歩にて軽快退院される。」

 



        ≪≪≪腹水抜きの疑問点≫≫≫



要町病院腹水治療センター長の松崎圭祐医師は記事のなかで、腹水が
 1700ml程度と少ない状態での腹水穿刺は危険で、腹部膨満感の緩和

 効果も乏しく、かえってその後腹水抜きを繰り返すことになって、死期を

 早めることになると述べている。》


精神疾患に伴う抑うつ状態にあって、注意力が減退していた研修医に、
 実際の施行を任せきりにしたため、研修医が700mlで自然流出が止まっ
 た腹水を、主治医に与えられた1000mlの目標目指してさらに引き抜こ

 うとした。》


最初から腹水量がさほど多くないと分かっていながら初日に1000ml

 抜いた後、主治医は『エコーで残りの腹水量の確認もしない』で、翌日

 も漫然と1000ml抜くという極めて『無謀で杜撰な目標設定』をしたため、
『腹水が全量流出』してしまうことになった。》


《本来、腹水を全部抜き取ってはいけないのだから、流出が止まったと分
 かった段階で、まともな医者であればとにかく止めなければならないは
 ず
。》


《流出が止まって『腹部に空洞が無くなっている』のに(腹水穿刺針"18G"
 の)
『向きや深さを変え』たり、シリンジ(注射器の筒)『陰圧をかけて』

 遮二無二に吸引しようとしている。》


《こうした常軌を逸した無謀な行為が、どういう結果を招くかということ
 について
研修医自身はまったく想像力を欠いていたようだ。》


《その結果、主治医が4月22日に危惧していた、腹水穿刺針に近い『肝臓・
 小腸に損傷を与えた』
可能性も否定できない。》


研修医のやったことは、ガキのいたずらレベルで、とてもまともな医療
 行為とはいえまい
精神疾患を患っていたとはいえ、あまりにお粗末で
 ある。》


精神疾患を患っているような研修医を医療行為に従事させるとは、この
 病院の管理体制は一体どうなっているのか
。》


《そもそも腹水を抜かなければならない緊急性、切迫さもない状況下で、
 1700mlと僅かしかない腹水を抜こうしたことが、取り返しのつかない事
 態を招く結果となった。》


主治医による不適切で杜撰な目標設定で、腹水が全量流出してしまった
 上に、研修医が腹水流出後に穿刺針を無造作に出し入れしたことで、

 臓に損傷を与えた可能性が高く、これら二つの重大な事象が重なった
 とで、その後母は急速に衰弱して死亡した。》

 

 

主治医が必要のない腹水穿刺を決断し、不適切な穿刺目標設定をしなけ

 れば研修医も自殺することはなかった母も死ぬことはなかった。》

 

 

腹水抜き全体を監督し、研修医に指示、指導する立場にあった主治医の

 責任は極めて重い。》

 

主治医の背後には影の主役がいて、腹水穿刺に誘導したようだが、当事者

 以外にはその姿は見えない。》

 



          ≪≪≪腹水全量抜き≫≫≫



腹水には『栄養分』『免疫成分』が豊富に含まれており、病人の体から
腹水を大量に抜き取って廃棄すれば、急速に衰弱が進むという記事を、私
は母が亡くなる6日前(2015年6月16日)になって、ネット検索で初めて見
たが当時、時間的、精神的にゆとりがなく、十分に咀嚼、吸収できていな
かった。


予め主治医から、腹水抜きについて詳しい説明を受けていたならと考える
と、まことに『無念極まりない』ものがある。


家族は私であって、元師長は母と親しいとはいえ、しょせん他人。元師長
にどんな思惑があったのか。


腹水抜きのプラス、マイナス面について、元師長や主治医は、母にいかな
る説明をして説得したのか



母はそもそも『腹水とは単にお腹に溜まった水』で、『抜けば楽になる』
程度の認識しか持っていなかった。

 



        ≪≪≪主治医との会話≫≫≫



腹水を抜き終わった夜、9時の消灯時間を過ぎた10時頃に主治医が

病室にあらわれ


『(腹水を全部とるのはまずいと言っていたのに、)結局全部抜くことに
 なってしまいました。』


《5/13 診療レポート》


『一番入ってほしくない路線に入ってしまった。』

《5/8 母の日記、5/10 母のメール》


『これからどんどんイタチごっこになる。』

《5/10 母のメール》


と母に言った。

 


《主治医は腹水を『全部とるのはまずい』と言っておきながら、『結局全部

 抜いてしまった』ことで、今後体にどういう変化が現れ、どのような経過

 を辿っていきそうかについて、まったく説明していない。》


《これで医師としての説明責任、告知義務を果たしたといえるのか。》


主治医の言ったことが、何を意味するのか母は理解しておらず、それ以上

の説明を求めることもなく、45分ほど雑談した。


そもそも、こういった重大な話は、家族同席の場でするものであろう


夜も遅い時間になったので主治医が退室する際に、

『今日は病院に泊まりですか?。いいえ帰ります。』
『では車で帰るのですか?。いいえ電車です。』
『住まいはどちらなんですか?。○○です。』

『○○では生活に不便でしょうに、何でまた○○なんかにお住まいなんで
 すか?。また(研修を受けた)大学病院に呼び戻されるかもしれない

 と思って。』

といった内容の話をしたと、退院後に母から聞いた。


腹水全部抜きについて、母は私に何も話さなかったので、母も事の重大さ
を認識していなかったと思われる



主治医の帰宅を気遣ったのんびりとした会話の内容からは、母が深刻な状
況に直面していて、予断を許さない事態に陥っているといった緊迫感は伝

わってこない

 

 


      ≪≪≪腹水抜き後の体調≫≫≫



【2015年5月9日 母の日記】

 九時三七分帰宅。すぐ二時間も眠る。
 水抜きをした後からずっと膨らんで来るお腹・・・。


【2015年5月9日 母の病気メモ】

 帰宅、前よりもっと膨らんで来るお腹
 むくみが去らない

 

腹水抜きの時の内臓損傷が原因ではないか。》

 

 

          ーーーーーーーーーー

 


2015年5月9日腹水を抜いて、こんどは別のところが痛くなってきて、お
腹が前より膨らんだ
と母が言いだした。これ以降、腹部は徐々に膨らんで
いった。

体重もうなぎ登りとなった。》

 

【2015年5月10日 母のメール】

 今回要するに、先生曰く、

 『入りたくない路線に入って来てしまった。』

 ということで、

 『これからどんどんいたちごっこになる。』

 予定と決定。知っていたけどね、お腹はへっこむどころか反って膨らん
 でくる
・・・感じ
。さりとて取らなきゃ苦しいし・・・と。

 




          [2015-05-10母のメール]

 


【2015年5月11日 母の病気メモ】

 二段に分れた様な感じのお腹



          ≪≪≪結膜下出血≫≫≫



2015年5月13日朝起きたら、両目が充血していたので、病院の眼科を予約
外で受診
結膜下出血と診断

 

【2015年5月13日 訪問医診療レポート】

 5/7より入院して胸水を抜くこととなる。

『全部とるのはまずいと言っていたのに、結局全部抜くことになってしま
 いました。』


 体重は減っていません。
 
むしろ増えています
 ↓
 ↓
 腹水をだいぶ抜きましたので、体力も落ちています。思ったよりたくさ
 ん抜きましたが、今後また貯まってくるとは思います





          [2015-05-13診療レポート]

 


          ーーーーーーーーーー

 


訪問医は腹水を全部抜かれたと聞いて深刻な事態になったと考えたは
 ず
なのに、状況の説明、適切な助言、処置を怠っている。》


《もっとも腹水を全部抜いてしまったら、もう手の施しようがないと考え、
 触らぬ神に祟りなしで、ダンマリを決め込んだのか
。》


《これで医師としての説明責任、告知義務をしっかりと果たしたと言える
 のか。》

 

 

     ≪≪≪体水分率80%に急上昇≫≫≫



2015年5月13日夜、両目の充血と歩調を合わせるようにタニタ体重計の
体水分率
のデータに異変が現れ始め、普段は50%程度なのが、急に80%

あたりまで急上昇

 




           [2015-05-13体水分率]

 


【2015年5月14日 母のメール】

 入院してから、一週間になります。予定通り9日に帰宅しておりました。
 あの夜に先生からのお話では、早い話が

『入って欲しくない路線に入ってきてしまった』由。

 水を抜いても反って膨らんできたお腹あの日の苦しさはなくなった

 ものの、違う苦しさが出て来て、さーてどうしたものか、ですが。

 その上、おまけに昨日は左眼が真っ赤になり手術後どうも薬があわ

 ない様な気がしていましたが又眼科に飛び入り・・・。これは「治る!結膜
 炎」と薬を変えて頂き帰宅。

 

腹水抜きの時の内臓損傷が原因ではないか。》

 

 



          [2015-05-14母のメール]

 


【2015年5月15日 母のメール】

 足が凄く浮腫んで立ち居振る舞いが以前より、もっと「よっこらしょ!・
 ・・」と。何処までこうやって苦しんで生きてるのか・・・。20日の予
 約日まで待てるかどうか・・・?。パンパンに張ったお腹が苦しくこの
 頃は痛みも加わって
・・・。


【2015年5月18日 母のメール】

 この頃とてつもなく体調が悪く7、8、9、と入院して腹水を取りまし
 たが、帰宅する前から、他の按配がもっと悪くなり
20日に予約ですが
 次はどうなりますか・・・?。


 もういい加減止めて欲しい、もうどうでもいいや・・・!一杯頑張った!
 、という気分です。


 足の浮腫みがひどく像(象)の足、よたよたと歩くのも大変です。


 兎も角、刻一刻膨らんでくるお腹が、もう苦しくて早く終りにしたい、
 というのが今の本音!。

 

 

腹水抜きの時の内臓損傷が原因ではないか。》

 

 

              ーーーーーーーーーー



母も私も、残念ながらこの時点でまだ腹水全量抜きが原因で体調が

 悪化したとは気づいていない内臓損傷の可能性も否定できない。》


主治医も訪問医も当然のことながら、状況をよく理解していたはずなの
 に
ちゃんとした説明をしていない。》

 



         ≪≪≪突然の余命宣告≫≫≫



【2015年5月18日 退院サマリー】

 診断:
  (主病名) 卵巣癌末期
  (主病名) 腹水貯留
  (合併症病名)気管支拡張症

 




             [2015-05-18退院サマリー]

 


2015年5月18日退院サマリーで、突如として『卵巣癌末期』と診断。
 なにを根拠に卵巣癌末期と診断したのかお手軽診断というよりは、た
 だの『でっち上げ診断』では。》


医師としての倫理規範に反する悪質な禁じ手である『でっち上げ』だと
 したら、医師生命に関わる重大な背信行為となりうる。嘆かわしい。》


これまで一度たりとも、カルテに末期という記述はない腹水を全量抜
 いてしまったうえに、内臓を損傷した可能性もあることから、死期も近い

 と考え卵巣癌Ⅲ期から末期へ急遽『前倒しで二階級特進としたか。

 なんと『姑息な帳尻合わせ』。》


《退院サマリー医師名には、筆頭医師(医長ではない)の下に当事者の主
 治医と研修医名が記されている。》

 


【2015年5月20日 15:33 主治医カルテ】

「退院後初回
 卵巣腫癌 :adenocarcinoma」


「腹水貯留→5/7-8ドレナージ→セルブロックにて
 adenocarcinoma
 苦しい、どんどんお腹大きくなってきている」

腹満憎悪著明++
 50kg

在宅希望あり、今日は帰宅とするが『今後近いうちに再度腹水穿刺必要

となる可能性高い』。」

苦しくなれば連絡を→そしたら入院穿刺ドレナージ

「厳しい旨、予後が月単位であること、夏はこせない可能性があることは
 説明した」

 

 



       

             [2015-05-20主治医カルテ]

 


          ーーーーーーーーーー

 


訪問医院長が翌月6/18に、

 『今そんなこと(腹水抜き)したら死んでしまうよ。』


 と言っているように、腹水を全部抜き取ってしまった上に再度腹水穿
 刺必要
とは、主治医は母を死なせるつもりか
。なんと恐ろしい。という
 より、何も分かっていないのではないか分かっていないからこそ、こ
 ういう無謀なことができるのでは
。》


【2015年5月20日 18:11 主治医カルテ】

「腹水貯留+++」
「腹満強く入院希望あれば入院でお願いします」

 【他病院紹介】 他病院への紹介
  産婦人 → 訪問診療クリニック[紹介]
  紹介年月日:2015-05-20

 


【2015年5月20日 診療情報提供書 主治医→訪問医】

「2日に分け、計1700mLをドレナージしました。セルブロック標本を作成
 しましたところ、卵巣漿液性腺癌の可能性が最も高い結果でした。」

「5/20に当院婦人科外来を受診されましたが、腹部膨満感は更なる増悪

 傾向を認めてきておりかなり病勢が進行してきている状況です。」

今後月単位での進行が予想されると思われます。」

 

腹部膨満感の憎悪は、腹水全量抜きと、内臓損傷による可能性が

 高いのではないか。》

病勢が進行しているのは、卵巣漿液性腺癌のせいではないはず。それと
 なく卵巣癌に導こうとしている。主治医得意のあいまいな記述で、巧妙
 に真実を隠蔽
。》

 


       ≪≪≪病理組織診断報告書≫≫≫



【2015年5月20日 病理検査レポート(組織診)】
《病理組織診断報告書》

 病理診断: (Ascites, other extractions,)
             Adenocarcinoma, see descritions!

 【所見】
  摘出された検体は腹水セルブロックです。

  組織学的にはクロマチンが増量し腫大した核、明瞭な核小体を有する
  細胞が小型の乳頭状様小集塊又は孤立性に多数認められます。これら
  の細胞は

   CK-AE1/AE3(+), CK-7(+), CK-20(-), PAX-8(+),
   ER(+), PgR(+,rare),WT-1(+,rare), FOXA1(-),
   CDX-2(-), GATA-3(-),TTF-1(+,focal),
   napsin A(+,rare), SP-A(-), CA125(+), P53(+),
   calretinin(-)


  の形態を示しています。低分化の腺癌です。卵巣の漿液腺腫瘍の可能
  性
が示唆されるものの、部分的にTTF-1が陽性を示すため、肺や甲状
  腺の検索が望まれます





        [2015-05-20病理組織診断報告書]

 


          ーーーーーーーーーー

 


《この病理組織診断報告書主治医は、卵巣がん末期と診断できるのか。
 解剖が必要ないと言えるほど『医学的に既に診断がついている』と言
 えるのか。》


【2015年5月20日 母のメール】

 7,8,9と苦しくて腹水を抜く為に入院していました。が、いたちごっ
 この始まり。

 『一番入って欲しくない路線に入ってしまった』と。

 今日の話では今後、月単位で6月か7月で人生の終焉を迎えるようになる
 とか・・。

 元々体が丈夫なので、すんなりとは終わらせてくれない、暫く苦しみそ
 うです。

 

 

        ≪≪≪不可解な余命宣告≫≫≫



2015年5月20日腹水抜き後初めての診察で、主治医は素人にはチンプン
カンプンな専門用語で書かれた、腹水の病理組織診断報告書を淡々と読み
上げた



そのままパソコン画面を見ながら、表情を変えることなく事務的に

『ぶっちゃけて言うと、この夏は越せない、余命は後3カ月です。』

と、いきなり宣告。


余命宣告をするのに、こんな乱暴な言い方あるか。》


余命宣告は当初母一人に行われたが、『びっくりした』母が待合室に出て
きて
『大変なことになった』から『一緒に話を聞いて』と、私を診察室に招
き入れ、再び宣告を受けた



母の驚き方からも自身が余命宣告を受けるような重篤な健康状態にあ
るとは思ってもいなかった
だろうし、主治医からもそうした説明を一度も聞い

ていなかったことが分かる


通常、余命宣告をする時は、家族付き添いで診察を受けるよう、前もって
伝えるのではないか



これまで一度たりとも『余命の話は無く』『ClassⅢのまま推移』して
いたので、のんびり構えていたが、あまりに『突然の余命宣告』に何が起
きたのかよく理解できず、ただ茫然と聞いていただけだった。


2015年4月28日腫瘍マーカーは横這いないしは下がっていて血液検査
結果も問題なしと主治医に診断された
。つまり卵巣癌は少なくとも悪くは
なってない
ということ。


2015年5月7、8両日腹水の全量抜きを経て僅か22日後の5月20日突然
の余命3カ月宣告



主治医の診断内容の落差の激しさに、まったく聞き返す言葉がなかった。


2015年5月20日の余命宣告に先立つ5月18日退院サマリーで、卵巣癌末期
と診断されているようだが、カルテ上に記録されているだけで、患者、家族には

知らされていない。退院サマリーはただの『アリバイ作り』だったのか。


余命宣告の際も、卵巣癌末期で余命3カ月とは言っていない原因が卵巣
癌という言葉もなかった



余命宣告というのは通常、2年、1年、半年と短くなっていくものなのに、
事前に何の予告もなく、いきなり余命3カ月というのは、不都合な事態に
遭遇した主治医が隠蔽を目的に
、思い付きで『出まかせ宣告』した『イン
チキ診断』
ではないか。


いままで親身になって2年間も診察してきたのにあまりにそっけなく、

まるで人が変わったかのように、冷淡な余命宣告となったのは、主治医の

心の内になにか『後ろめたいもの』があったからか。


腹水の病理組織診断報告書を幾度も読み返したが、どこにも余命3カ月と
読み取れるところはなかった。


そもそも余命にかかわることなどまったく書かれていない。はたして腹水
検査から余命の予測が可能なのか。


この時点までの主治医のすべてのカルテからも、余命3カ月宣告の根拠

となるような記載を見つけることはできない


余命3カ月というのは、腹水を全量抜いてしまった時に予想される余命を、
主治医が勝手に余裕を見て多めに見積もったもの
か。


読んで聞かせたところで理解できないような、専門用語が羅列された病理
組織診断報告書をわざわざ読み上げた
のは、もっともらしい理由づけと

して、余命宣告に利用するためだったのか。単なる『目くらまし』か。


ただ余命宣告を受けた後も、余命宣告以上に生きる人は多く、そんなもの
当てにならないと、私は自分に言い聞かせ、まだまだ大丈夫と努めて考え
ていた。



新潟大学名誉教授、故安保徹先生の著書より】

『余命宣告とはそもそも抗がん剤治療に伴うもので、抗がん剤治療も受け
 ていない患者に余命宣告などあり得ないのではないか。』




        ≪≪≪麻薬使用開始≫≫≫



2015年5月20日の時点で、母は掃除も洗濯も自分でやっていた。


【2015年5月23日 訪問医院長診療レポート】

「足の浮腫はすごいです。」


お腹の張りが辛いですね。食事も摂れているので腹水を抜くよりは張り
 薬(フェントステープ)を貼って症状を取るようにしましょう。」


          ーーーーーーーーーー


2015年5月23日には訪問医院長が初めて往診に来て『痛み止め』です

とだけ言ってフェントステープ1mgの処方箋を置いていったが、薬局で購入
する際、これは『麻薬』ですから患者以外は、絶対に手に触れないようにと、

厳重に注意された。


《麻薬を処方するのに、医師は麻薬の処方について何も説明しなくてよい

 のか。》


腹水全量抜きに伴う体調悪化であると、分かっていたはずなのに、

 まったく説明しようとしない。》


2015年5月24日フェントステープで母の体調が一転して良くなる


【2015年5月25日 訪問医院長診療レポート】

「張り薬の効果があって良かったです。お腹の張りは感じなくなっている
 のでこのまま様子を見させてください。あしの浮腫も変わらないような
 ので利尿剤は同じで様子を見させてください。薬の副作用も出ていませ
 んのでこのまま様子を見ます。」



        ≪≪≪訪問看護回数急増≫≫≫



2015年5月23日から、院長が週2回訪れるようになり、2人合わせて週3回
訪問看護
になった。


訪問院長はいよいよ最終段階を迎えたと認識して、訪問看護回数を増やし
始めたようだが、回数を増やした理由について一切説明なし


2015年5月26日、体調絶好調で、楽になる。タニタ体重計の体重と体水分
率図にもはっきりと現れている。

 




           [2015-05-26 体重、体水分率図]

 





          [2015-05-26 体重、体水分率測定表]


2015年4月1日メインテート4月6日シベノールそれぞれ半減した
 が、体重は45kg台から少しづつ増え始めた4月22日エリキュースを
 含めて3薬すべての服用を止め
ても47kg台からさらに増え続けた
。》


2015年5月8日腹水を全部抜き取った後も体重は増け続けて50kg台

 に至った。5月23日フェントステープを貼ったところ、体重は急減を始め

 44kg台で落ち着いた。》


2015年5月13日朝に両目が真っ赤に充血するのと機を同じくして、体水
 分率は50%から急上昇し始めて80%を超えた
5月23日フェントス

 テープを貼ったところ、急減し始め50%あたりで落ち着いた。》


フェントステープを貼ったことで、体水分率は普段の50%くらいまで戻っ
た。同時に体重も劇的に減り本来の体重に戻った




【2015年5月27日 訪問医診療レポート】

フェントステープは貼っています。魔法の薬ですね。」


「お風呂から立ち上がれず這って出たこともありましたが、すっかり元気
 になった
ので、全部片付けました。」


          ーーーーーーーーーー
 

2015年5月27日になって、訪問医から市販の栄養飲料エンシュアの摂取を
勧められたが、専門的、医学的な養生、処置、注意喚起等の療養指導は

なかった


【2015年5月27日 17:00 主治医カルテ】

「フエントス(テープ)始めてから調子良い
 かなり調子良さそう、多弁傾向あり」

「往診Drにてフェントス導入していただいた
 腹満強いが疼痛コントロールは良好に」

今後は在宅中心へ、当院通院も若干困難
 何かあれば当院でサポ―卜とし在宅で加療いただく
 次回眼科後に婦人科も受診を


《何かあれば当院でサポート、と書いているのに死後の解剖は頑なに拒絶
 した。》


          ーーーーーーーーーー


2015年5月27日主治医の最後の診察。あまりいい雰囲気ではなかった。
次回の診察は、できるだけ先に延ばして7月8日で折り合う。ただし主治医
からは4週間後の6月24日に電話で体調を報告するよう求められたが、

その前の6月22日に母は亡くなった


2015年5月30日、訪問医院長から、オプソ(麻薬)の処方を受ける。


【2015年5月30日 訪問医院長診療レポート】

「今日はあんまり調子が良くないですね。苦しい。感激的な薬の効き目が
 ない
ですね。」

「張り薬の量は眠気が強くなり生活に支障をきたす可能性がありますので
 増やしません。レスキューの薬(オプソ)を処方しますので、症状が辛
 い時に服用してみてください。」



        ≪≪≪体調急速に悪化≫≫≫



【2015年6月1日 訪問医院長診療レポート】

「お腹の張りは強くありませんし足の浮腫も改善してきています。腹痛は
 オプソを服用して誤魔化しましょう」


【2015年6月3日 訪問医診療レポート】

「オプソはあまり効果がなかったので、お腹全体の痛みが強くなっている
 ので、フェントス自体を増量することにしましょう。」


          ーーーーーーーーーー


2015年6月3日、訪問医院長から、フェントステープを2mgに増量する処方
を受ける。


2015年6月4日フェントステープ増量の効果はほとんど無く、食欲も無くなる


2015年6月5日呼吸器科の医師の診察を受ける。これが病院での最後の

診察となる。


《診察後、私が病院前の薬局に薬を取りに行っている間、辛いからと母は
 待合室の長椅子で横になって待っていた
。普段はそんな行儀の悪いこと
 を絶対に人前でする人ではない。》


2015年6月6日体調最悪。強い吐き気を感じる。


【2015年6月6日 別の訪問医診療レポート】

「だいぶつらいです。お腹が張って苦しいです。食事は全然です。水も入
 っていきません。」


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2015年6月7日自力で入った最後の風呂。


【2015年6月8日 訪問医院長診療レポート】

お腹が苦しいです。左の脇腹が痛いです。
 吐き気止めを飲むとほとんど入っていかないみたいで2,3日食べていま
 せん。」


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2015年6月9日、自力で立っていることもできなくなった。自力で最後のシ
ャワーを浴びる。紙オムツを使い始める。


この先はもう急坂を転げ落ちるように衰弱が進んでいき、私もわけも分か
らず、ただもう日々の対応にてんてこ舞いするだけとなり、落ち着いて何
も考えることができなくなってしまった。


【2015年6月10日 訪問医診療レポート】

「力が入らないです。後ろから抱え上げないと起き上がれません。(フェ
 ントス)テープを2mgにしてから食事が摂れなくなっています
。」


「食事も水分もほとんど取れなくなってきています。」



       ≪≪≪今月一杯もたない≫≫≫



2015年6月10日訪問医から母が『今月一杯もたない』と告げられたが、
これまた衝撃が大きすぎてただただ呆然と聞いていただけだった。


【2015年6月11日 訪問医院長診療レポート】

「今日は比較的調子がよろしいようなので良かったです。食事に関しては
 ゼリーが食べられているので今後も続けて行きましょう。」


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2015年6月11日からは、週4回の訪問看護になった。
もはや自発的な意志のない、ただの生き物のようになってしまった。


2015年6月12日よく幻影を見るようになる。


【2015年6月13日 訪問医院長診療レポート】

「体調は回復していますね。食事も摂れていますので安心しました。」


【2015年6月15日 訪問医院長診療レポート】

「週2回程度排便があれば心配ないと思います。血圧は安定していますね。
 食事も食べられているので安心しました。」

 

 

                 病院の闇(4)へつづく