東京医療センターの重大医療事故
★担当医の不可解な処置★
独立行政法人国立病院機構『東京医療センターの重大医療事故』について大まかな流れを説明します。
2013年6月に東京医療センター産婦人科主治医が『卵巣癌が最も疑われる』、『卵巣癌であればⅢ期以上』であると母を診断したが、予後に不安が残ると分かり手術を断念して、月例診察で経過観察を続けた。
2014年4月、5月の都内クリニックでの『マイクロ波による温熱療法』後の体調の絶不良から、2014年8月、9月に不本意ながら受けた放射線治療と食事療法の効果で、2014年秋には呼吸器科医師と産婦人科主治医の両医師から『奇跡が起きた』と言われるほど劇的に体調が持ち直した。
2015年2月の眼科研修医による白内障診断で、『心房細動の疑い』を指摘され、2月に循環器科医師による診察を強要された。
循環器科医師が『これは大変だ、ほっておいたら脳梗塞になる』と脅して処方した『心房細動治療薬』で、腹水が増大して腹部膨満感が増してきた。
2015年4月22日に産婦人科元看護師長が同行して、産婦人科主治医に『腹水穿刺を打診』したが、『穿刺は肝臓・小腸近く、現時点の量ではリスクの方が恐い』と言って『腹水穿刺には否定的』であった。
翌週の4月28日、なぜか再び産婦人科元看護師長が同行して産婦人科主治医に『腹水穿刺を迫り』、主治医は結局押し切られて『腹水穿刺に同意』。
2015年5月7日、8日に産婦人科主治医の指導のもと腹水穿刺処置を受けたが、『精神疾患を発症して抑うつ状態で注意力が減退していた』産婦人科研修医による『常軌を逸した異常な処置で内臓を損傷』。
5月8日夜に産婦人科主治医が『(腹水を)全部とるのはまずいが、結局全部抜くことになってしまいました』と母に語した内容を、訪問医療の中野なおクリニックの5月13日の往診の際にアルバイト医師に伝えた。
5月20日、腹水穿刺後はじめての診察で、産婦人科主治医は突如、青天の霹靂の『余命3カ月を宣告』。
5月23日、中野なおクリニックの院長が、麻薬であることは伏せて単に『痛み止め』ですとだけ言って、『point of no return の麻薬』をいきなり処方。
2015年6月22日に『内臓損傷が原因』で母は自宅で息を引き取った。かねてより母が産婦人科主治医と話し合っていた解剖を電話でお願いしたところ、『手術をしていない』のに『いまさら解剖しても得られるものは何もありません』と強弁し、頑として『解剖を拒絶』。
精神疾患を発症していた腹水穿刺担当の産婦人科研修医は母の死の20日後の7月12日に、後を追うように『過労自殺』。
ここからは2015年1月の眼科診察から6月に内臓損傷で亡くなるまでの半年間の、東京医療センターと訪問医療の中野なおクリニックの『担当医の不可解な処置』について医師ごとに説明します。
眼科 研修医 白内障手術前に心房細動の治療を強要
産婦人科 主治医 リスクが恐いと認識しつつ腹水穿刺に同意
産婦人科 元看護師長 意地で主治医に腹水穿刺実施を迫る
中野なおクリニック 院長 内臓損傷と知るも沈黙
★担当医の不可解な処置★の説明は、下記ブログの記述に準拠しています。必要に応じて適宜参照してください。
東京医療センターの重大医療事故(1)~(11)
東京医療センターの重大医療事故★問題点整理★(1)~(3)
東京医療センターの重大医療事故の概要
≪≪≪眼科研修医≫≫≫
2015年1月21日、眼科研修医が『白内障』と診断し、手術を受けることになった。
2月6日、眼科研修医が心電図検査結果を見て、『心房細動の疑いがあるので、心房細動の治療を受けなかったら、白内障の手術は行いません』と告げた。
2月9日、眼科研修医から心房細動の診察依頼を受けた循環器科医師が、各種検査を経て、2月23日に『メインテート(降圧薬)』と『シベノール(抗不整脈薬)』、3月9日には『エリキュース(抗凝固薬)』の心房細動治療薬と称する3薬を処方した。
心房細動治療の処方を受けたことで、眼科研修医は2月24日に右目、3月3日に左目の白内障手術を行った。
まことに不思議なことに、『心房細動の治療を受けなかったら、白内障の手術は行いません』と言っておきながら、2月23日に心房細動治療を目的とした『降圧薬と抗不整脈薬』を飲み始めた『翌日』の2月24日には、もう右目の『白内障手術』を行っている。
眼科研修医は『たった一日の服薬』で心房細動の治療が行われた、とでも言うつもりなのだろうか。もちろんそんな『バカげたこと』などあるはずがない。『笑止千万』である。
母の白内障手術に際して『心房細動の治療は必要なかった』と『白状』したも同然である。
心房細動治療の強要は、ただの『言いがかり』でしかなく、真の目的は循環器科を受診させて、保険診療点数を稼いで診療実績を積み上げることであったろう。これは東京医療センターの『ビジネス本位の診療』システムに組み込まれた手順通りの処置か。
眼科研修医の『人の弱みに付け込んだ』ヤクザもどきの『言いがかり』がキッカケとなって、循環器科医師の『害にしかならない処方薬』の服用を始めたことが、腹水増大による腹部膨満をもたらした。
最後は産婦人科主治医と研修医による緊急性、必要性に欠ける腹水穿刺で内臓を損傷して、母は塗炭の苦しみの末に命を落とすことになったという事実を、眼科研修医はどのように受け止めているのだろうか。
眼科研修医は、母の『死出の旅』の引き金を引いたといえよう。まことにもって『罪づくり』なことをしてくれたものである。
≪≪≪循環器科医師≫≫≫
東京医科大学卒の50歳代の医師。
2015年2月9日、眼科研修医から心房細動の診察依頼を受けた循環器科医師は、当日測定した心電図を診て『これは大変だ、ほっておくわけにはいかない、脳梗塞になる』と母を脅した。
母は『もうそのままでいい』と言ったが、『脳梗塞の心配があり、ほっておくわけにはいかない』と言って、心房細動の治療を受けることを強要した。
この際『血をサラサラにする薬(エリキュース、抗凝固薬)は他の病気に悪い』とも話している。
2月12日、13日に『24時間ホルター心電図検査』を受けた。
2月23日、検査結果に基づく診断で『メインテート(降圧薬)とシベノール(抗不整脈薬)』を処方された。
『カルテ』を見ると、『24時間ホルター心電図検査』の『判読コメント』は、『要観察』となっており『要治療』ではなかった。
精密検査結果が『要観察』であったのに、なぜ『降圧薬と抗不整脈薬』を処方したのか理解に苦しむ。医師としての適性を欠いた循環器科医師の『不見識で不適切な処方』には首をかしげざるをえない。
循環器科医師がこの日のカルテに記した『血圧126/80、脈拍72』は、文句なしの正常値であった。『降圧薬の必要性がない』ことなど、この循環器科医師を除けば誰でも容易に理解できることである。常軌を逸した極めて異常な処方と言わざるを得ない。何考えているんだろう。何も考えてなんかいないのだろう。ただ漫然と惰性でやってるだけ。
循環器科医師は精密検査結果に記された『要観察』の『判読コメント』を、母に説明しないで『降圧薬を処方』している。これは医師に課された『説明責任と告知義務』に明白に違反した行為である。
『降圧薬と抗不整脈薬』が処方されたことで、2月24日に右目、3月3日に左目の白内障手術を眼科研修医が行った。
次回3月9日に診察した循環器科医師のカルテには、『血圧95/47、脈拍63』と記されている。2月23日から『メインテート(降圧薬)とシベノール(抗不整脈薬)』を飲み始めて2週間で、『血圧が異常に低く』なっている。
少なくとも『降圧薬』の処方が不適切であったことは明白であるのに、循環器科医師は『処方を見直さない』ばかりか、さらに『エリキュース(抗凝固薬)』を追加で処方した。『卵巣癌の疑い』で腹水が溜っていることなどまったくお構いなしである。
血圧が異常に低いという事実に目をつむり、最初に決めた方針通り遮二無二突き進むことしか頭になかったようだ。この『おとッつぁん』のオツムがまともに機能しているとは到底考えられない。
循環器科医師は思考がフリーズしていて、状況の変化に的確に対応することができない、役立たず人間と典型である。嘆かわしい限りだ。
循環器科医師による心房細動治療の強要は、診察、検査、処方で保険診療点数を稼いで診療実績を積み上げ、さらには『製薬会社と癒着した処方』による裏取引での利益を目的とした、『ビジネス本位の医療』であったということであろう。
『ビジネス本位の医療』では『過剰な診療』で報酬を稼ぐことが最優先され、『患者の健康は二の次、三の次』となるので、『患者はモルモット』のような存在となり、かえって『健康を害する』ことになりかねない。東京医療センターのような『悪徳病院』では、『堕落した不埒な医師』の不適切な診断によって『医原病』が起きるゆえんであろう。
税金が投入されている国立病院の東京医療センターが、このようなビジネス優先の医療を実践するのは、都民に対する背信行為である。
3月9日の時点で既に循環器科医師は、心房細動の診察と処方を訪問診療医に『丸投げ』すべく、中野なおクリニック宛の『診療情報提供書』を書き上げているが、『24時間ホルター心電図検査』結果は添付しないで、『自身の不見識な診断内容と処方だけ』を記している。
『ほおっておいたら脳梗塞になる』と脅して、2月23日に『メインテート(降圧薬)とシベノール(抗不整脈薬)』を処方し、3月9日には『エリキュース(抗凝固薬)』も処方したのだから、経過観察をしながら処方の適否を検討して、『治療方針を適宜見直していく』のが医師としての当然の責務であるはずだ。
ところが『エリキュース(抗凝固薬)』を処方した3月9日には既に中野なおクリニックへの診療の『丸投げ』を決めている。あとのことはすべて『訪問医に丸投げ』というのは無責任の極みであり、医師としての責務を放棄したあからさまな背任行為である。
3月15日頃から急に左耳が、はれぼったい感じになり、少し聞こえが悪く噛んだ音が、中で響くような感じが続いていると母が訴え、耳鼻咽喉科と歯科口腔外科で診察を受けたが原因不明と診断された。心房細動治療薬の副作用であったと考えられる。
3月25日の産婦人科主治医の診察で、母は『腹満感の自覚が強い』と話している。
次回3月30日の診察で、循環器科医師は『通院も大変でしょうから今後は訪問医から同じ薬の処方を受けるように』と言って、3週間前の前回3月9日の診察時に作成済みの『診療情報提供書』を母に渡した。『24時間ホルター心電図検査』結果は添付されていなかった。
循環器科医師が心房細動の診療を中野なおクリニックに全面的に引き継ぐつもりならば、引継ぎの手続きとして当然、『24時間ホルター心電図検査』結果も渡すべきであろう。
実際は、循環器科医師の『不見識な診断と処方内容』のみを、『診療情報提供書』に記して母経由で渡しただけある。
『診療情報提供書』の最後に『引き続きのご加療をお願いしたく』と書かれているが、『24時間ホルター心電図検査』結果も渡さないで、中野なおクリニックに『自身の診断と処方を継続するよう一方的に押し付け』ただけで、中野なおクリニックとの間に正式な引継ぎが行われたとは言えない。
そもそも『引き続きのご加療をお願いしたく』とは、どこまでの加療を意図しているのか意味不明である。単に循環器科医師の処方をそのまま継続してほしいということなのか、それとも中野なおクリニックで独自に診断していいのか、実に『曖昧なお願い』である。
中野なおクリニックに循環器科医師の処方をそのまま続けてほしいという意味であるならば、『脳梗塞になると脅し』て処方しながら経過観察を一切しないで、相手に同じ処方を続けろと一方的に押し付けたことになり、はなはだもって無責任で身勝手なお願いである。
中野なおクリニック独自の診察、診断を望むのであれば、当然『24時間ホルター心電図検査』結果も渡す必要があろう。曖昧模糊としたお願いをして平然としている循環器科医師の思考回路は常人には把握し難い。ただの夢遊病者か。
『診療情報提供書』には、『喀血などの際にはエリキュース休薬はやむを得ないと思います』と明記されている。エリキュースは腹水に対しても悪影響を及ぼすとはっきり認識していたはずである。
循環器科医師はこれで中野なおクリニックに、『心房細動』の治療を引き継ぎ完了と勝手に考えているようだが、『引継ぎの形式、内容』のいずれをとっても、正式な引き継ぎとは到底いえない、実に無責任で不埒極まりない愚劣なやり方であった。
循環器科医師は、中野なおクリニックを東京医療センターの『下請け』と見下し、自身にとって用済みの案件は訪問医に『一方的に放り投げ』て、『一件落着』と考えていたようだ。
そもそも脳梗塞になると脅して、心房細動の治療を始めたばかりの段階で経過観察もしないで、あとのことは訪問医に一方的に押し付けようとする態度は、医師の倫理規範に反する不埒で無責任な行為で、医師としての責務を果たしているとは到底言えまい。
『通院も大変だろうから』と、こじ付けの理由をつけて訪問医に『丸投げ』して、以後の『責任をまぬがれよう』とする『さもしい魂胆』が見え見えである。
東京医療センターには毎月、多い時には毎週のようにタクシーで通っていたが、決して通院が大変なこととは考えていなかった。必要であればいくらでも通院するつもりでいた。
循環器科医師が3月9日に処方した『エリキュース(抗凝固薬)』の服用で、4月に入ると体重が急速に増加し始め、お腹も徐々に大きくなりだした。
4月1日、循環器科医師から託された『診療情報提供書』を訪問医に手渡した。この日のアルバイト訪問医の診察で『血圧104/44、脈拍41』と、血圧、脈拍ともに異常に低かったので、アルバイト訪問医は帰院後に院長の指示で、『メインテート(降圧薬)を半減』するように電話してきた。院長は循環器が専門の医師である。
4月6日、『具合が悪く体がダルイ』と感じたのでアルバイト訪問医に電話で相談したところ、さらに『シベノール(抗不整脈薬)も半減』するよう連絡してきた。体の不調が『心房細動治療薬の副作用』であると母はやっと気づいたようだ。
4月13日、予約外で循環器科医師の診察を受け、4月1日のアルバイト訪問医の診察で『血圧104/44、脈拍41』だったので、訪問医から『メインテート(降圧薬)とシベノール(抗不整脈薬)を半減』するよう指示されたと相談した。
循環器科医師は、脈拍40台というのが『正確に脈をカウントできていたかどうかが問題』である、脈拍60台が続いているのであれば『元通りの処方に戻していただいてもよろしいのではないでしょうか』と話したが、戻さなかった。
この日のカルテでは、『血圧120/65、脈拍67』と正常値を示しているが、これは訪問医の指示で4月1日に『降圧薬』を、4月6日には『抗不整脈薬』も半減したからである。
循環器科のこの『とッつぁん』の思考回路にはなにか重大な欠陥があるのか、それとも『製薬会社と癒着した処方』に強いこだわりがあって変える気がなかったのか、どちらにしても医師としての適性を著しく欠いた不可解な対応であったことは間違いない。
『とッつぁん』よ、大丈夫かい、しっかりせいや。もうボケてるのか。
循環器科医師に早く『引導を渡さないと』、東京医療センターの評価をさらに下げることになると思う。
冥界の使者を想起させるような循環器科医師の不可解で不見識な診断に、さすがに母もこの日で循環器科医師には見切りをつけ、以後の接触を断った。
4月18日の母の日記には、『毎日苦しく、辛くなって来る。少しずつだけど本当にそう感じる』と書いている。
4月19日の母の病気メモには、『刻々と膨らんで来る感じのお腹』とも書いている。
4月22日、産婦人科主治医が、お腹が辛いと母がいうので、循環器科医師の承諾を得ないで、『メインテート(降圧薬)、シベノール(抗不整脈薬)、エリキュース(抗凝固薬)すべての服用中止』を指示した。
これでやっと循環器科医師の処方から解放され、5月に入ると体調も少しずつ上向いていった。循環器科医師の処方が不適切なばかりか、危険ですらあったことが分かった。
惜しむらくは4月1日のアルバイト訪問医の診察の際に、さらにもう一歩踏み込んで、循環器科医師の処方すべてを止めるように指示していたならばと思わずにはいられないが、診療における訪問医の位置付けが、明確になっていなかったことが災いしたかもしれない。
せっかく体調が上向きだしたのに、このあと4月28日の産婦人科主治医の不可解な決断ですべてがご破算になってしまった。
≪≪≪産婦人科主治医≫≫≫
産婦人科主治医は日大医学部を卒業後、慶応病院での研修を経て、2013年4月に東京医療センター産婦人科に赴任、2013年5月10日から主治医として母の診察を担当した。産科婦人科研修医の労災認定報道直後の2017年8月に『慶応病院婦人科に栄転』している。
2013年6月11日、産婦人科主治医が『卵巣癌が最も疑われる』、『卵巣癌であればⅢ期以上』と母を診断したが、予後に不安が残ると分かり『手術を断念』して、月例診察で『経過観察を続ける』ことにした。
産婦人科主治医は当日の『インフォームド・コンセント』に、『卵巣癌と診断が確定した訳ではない』、『卵巣癌の診断は手術で摘出したものを病理組織診断することで診断となる』と記している。
2014年4月、5月に都内クリニックで『マイクロ波による温熱療法』を受けたが、『逆効果しかなく体調が悪化』したため、不本意ながら8月、9月に東京医療センターで受けた『放射線治療』と食事療法の効果で、体調が劇的に持ち直した。
10月22日には産婦人科主治医が『奇跡が起きた』と喜ぶほどの回復ぶりであった。
11月26日には産婦人科主治医から『腫瘍(癌)が縮小しており、腫瘍(癌)の心配がなくなってきた』とまで言われた。
これでやっと峠を越したと安心したのも束の間、年が明けた2015年1月に眼科研修医に『白内障と診断』されてからは、抗し難い勢いで『運命の歯車が逆回転』し始めた。迂闊にも私は5月に腹水穿刺するまで気づかなかった。
2015年3月9日に循環器科医師が処方した『エリキュース(抗凝固薬)』で腹水が徐々に溜まり始め、4月に入ると『腹部膨満感に悩む』ようになり、向かいに住む東京医療センター産婦人科の元看護師長を何度も訪ねて相談したところ、腹水抜きを勧められた。
元看護師長は腹水抜きを勧める際、リスクについては何も言わず、『腹水を抜けばお腹が楽になる』とメリットだけを説明しており、母は完全に『たぶらかされ』ていた。
4月16日、『要支援1(1~2)』と認定。
4月22日に元看護師長が同伴して、産婦人科主治医に『腹水抜きを打診』したが、主治医は『穿刺は肝臓・小腸近く、現時点の量ではリスクの方が恐い』と話し、『腹水穿刺には否定的』であった。
とりあえず循環器科医師が処方した『心房細動治療薬3薬すべてを止める』よう指示したが、不思議なことに母の日記には書いてあっても、カルテに記載はない。
腹水穿刺の判断を先延ばしして、次週の眼科の診察の後、母一人で再度診察を受けることになった。
4月28日、産婦人科元看護師長は、なぜか再び診察に同伴して、産婦人科主治医に『腹水穿刺を迫り』、主治医は結局押し切られて『腹水穿刺に同意』した。
産婦人科主治医は、『4月24日に採血の血液検査は、腫瘍マーカー類は横ばいないしは下がっており、血液検査の結果も申し分ない』と病状に異変はないと説明した。
4月22日、28日ともに元看護師長が診察に同席していたが、カルテに記載はなく、母の日記を読んではじめて知った。元看護師長は黒幕としての自身の介在を隠そうとして、産婦人科主治医に記載しないよう伝えたようだ。
初診以来ずっと診察だけだったこともあり、産婦人科主治医の診断内容に特に疑問はなかったが、4月28日に医療処置の段階に移ると、なぜかよこしまな考えに染まって、後は一連托生と『とんでもない方向に暴走』し始めた。
4月28日、産婦人科主治医は中野なおクリニック宛の『診療情報提供書』で、5月7日に腹水穿刺を予定しており、『今後は腹水穿刺を繰り返す』と記した。
ひとたび廃棄するだけの腹水穿刺を始めると、体力維持に必須の『アルブミン(栄養分)』や『グロブリン(免疫関連物質)』等のタンパク質も腹水と一緒に抜き取られてしまうため、『急速に体力が低下』して、『全身状態が悪化』し、さらに腹水が溜まりやすくなって、以後腹水穿刺を繰り返す悪循環に陥り、『死期を早めるだけ』である。
そもそも腹水が『1~2リットルと少ない状態での腹水穿刺は危険』であり、『腹部膨満感の緩和効果も乏しい』ということは医師に限らず、看護士でも理解している基本事項である。
4月22日の診察で、産婦人科主治医は『腹水量が少なくリスクが恐い』と、はっきり認識しており、実際5月7日、8日の『穿刺の結果は計1700mL』であった。
2リットル未満と『危険水域にある腹水量』で、腹部膨満感の緩和効果が乏しいにもかかわらず、『今後は腹水穿刺を繰り返す』とは、一体何を企んでいたのか。母の『死期を早めんとする』強固で明確な意志の現れであろう。
まともな医師、看護士には理解しがたい『暴挙、暴走』で、医師にあるまじき『悪逆非道な』判断である。
4月22日に『現時点の量ではリスクの方が恐い』とリスクの高さを十分に認識していたにもかかわらず、腹水穿刺について産婦人科主治医からは家族に『リスクの説明はなく』、『同意書の提出も求められなかった』。
危険を伴う処置にも関わらず、医師としての『説明責任と告知義務』をまったく果たしていない。極めて異常で無責任な処置であったと言わざるを得ない。『医師の倫理規範に反している』ことは明白である。
しかも腹水穿刺をする前の4月28日の時点で『今後は腹水穿刺を繰り返す』つもりでいたということは、死に至る階段を一歩ずつ着実に昇らせようとしていたことを意味している。
うがった見方をすれば、これは産婦人科主治医と元看護師長が結託して母を死に追いやる策謀であったと言うこともできよう。
ただ4月22日の時点までは、産婦人科主治医が策謀を企図する積極的な動機に思い当たる節はない。とすれば黒幕である元看護師長の意志が強く働いていたと考えるのが妥当であろう。
5月7日、腹水穿刺で入院。産婦人科主治医が研修医に、1000mLの腹水を抜去してセルブロック(細胞診断)に提出するよう指示。
5月8日、主治医は4月22日の時点で腹水量が少ないと自覚していながら、事前の腹水量確認を怠って、さらに1000mL目標の『無謀で杜撰な』腹水抜きを指示。
産婦人科研修医は700mLで流出が止まった後も、主治医に指示された1000mL目指して、強引に腹水を引き抜こうとして、内臓を損傷してしまった。
研修医は1年オーバーの『研修医6年目』で、『精神疾患に伴う抑うつ状態にあって、注意力が減退していた』ことが原因で、メインの腹水溜まりの腹水の全量流出と内臓損傷という『重大な医療事故』を起こしてしまった。
精神疾患を発症していた研修医に『リスクが高いと事前にはっきり認識していた腹水穿刺を任せた』ことが、内臓損傷の原因である。産婦人科主治医と東京医療センターの管理責任は厳しく問われなければならない。
5月8日夜10時頃に産婦人科主治医が病室に現れ、『(腹水を)全部とるのはまずいが、結局全部抜くことになってしまった』、『一番入ってほしくない路線に入ってしまった』と母に話した。
この言葉から、産婦人科研修医が腹水穿刺で腹水を全部抜き取ったうえに、当初からリスクが恐いと警戒していた最悪ケースの、内臓を損傷したことが読み取れる。
腹水は単に腹部に滞留しているのではなく、リンパ管を通して体中を循環している。腹水を全部抜いたということは、体内の貴重な『栄養分や免疫関連物質』をごっそりと抜き去ったことになり、体に甚大な悪影響が及ぼし、『体力を急速に消耗』して、『死期を早める』ことになる。
腹水は決して無駄で不要な体液ではなく、体にとって必要不可欠なものなので、単に抜き取って廃棄していいものではない。抜き取るのであれば、KM-CART法のように『栄養分と免疫関連物質』を『濾過、濃縮して点滴で再び静脈に戻す』必要がある。
腹水を全部抜いてしまうことなど、あってはならないことで、正規の医療行為として想定されていないことである。2リットル以下の腹水は抜かないというのは、こうした最悪のケースを避けるためでもある。
腹水を全部抜いたうえに、内臓を損傷したということは、体に回復不能で致命的なダメージを与えたということである。
こうした現実に直面しても、現状について母にしっかり説明せず、今後どのように対処していくべきかという点についても何も話さなかった。産婦人科主治医は『責任感が著しく欠落した手のつけようのない堕落したクズ医師』である。
腹水を抜いた翌日の5月9日に退院したが、こんどは『別のところが痛くなってきて』、『お腹が前より膨らんできた』と母が言いだした。これ以降、腹部は徐々に膨らんでいった。
帰宅時に、たまたま産婦人科元看護師長の義母の往診に来ていた中野なおクリニックの院長に会ったので、体調不良について話している。
『腹水を抜けば、一時的なりともお腹が楽になる』はずなのに、『腹水を抜いた翌日には以前にも増して膨らんできた』ということは、間違いなく内臓を損傷したことが原因である。
5月13日朝起きたら、『両目が真っ赤に充血』。予約外で眼科を受診、結膜下出血と診断。
5月13日夜、両目の充血と歩調を合わせるように、タニタ体重計の『体水分率データに異変』が現れ始め、普段は50%程度なのが、急に『80%あたりまで急上昇』した。
5月18日のカルテ記載の『退院サマリー』では、『卵巣癌末期』と診断されている。なにを根拠に『卵巣癌末期』と診断したのか。
母は、手術を受けていないので、『卵巣癌の疑い』のままで、『卵巣癌』とは確定していない。『でっち上げ診断』、『カルテの虚偽記載』である。『カルテの虚偽記載は医師法違反』であろう。
『診断の捏造』は明らかに『医師の倫理規範に反する悪質、悪辣な禁じ手』であり、産婦人科主治医の『医師生命に関わる重大な背任行為』である。
5月18日の知人へのメールには、
≪この頃とてつもなく体調が悪く≫
≪帰宅(退院)する前から、他の按配がもっと悪くなり≫
≪足の浮腫みがひどく象の足、よたよたと歩くのも大変≫
≪刻一刻膨らんでくるお腹が、もう苦しくて早く終りにしたい≫
と書き記している。
5月20日、腹水穿刺後はじめての診察で、産婦人科主治医は突如、青天の霹靂の『余命3カ月を宣告』。
余命宣告は当初母一人に行われたが、『びっくりした』母が慌てて待合室に出てきて、『大変なことになった』から『一緒に話を聞いて』と、私を診察室に招き入れ、再び宣告を受けた。
通常、余命宣告をする時は、家族付き添いで診察を受けるよう、前もって伝えるはずである。『後ろめたさを強く感じていた』がゆえにか、極めて異質、異例で常軌を逸した産婦人科主治医の対応であった。
余命宣告の際、病名も告げずに余命3カ月と言った。『卵巣癌の疑い』が原因ではないと分かっていたから、『卵巣癌』という言葉をあえて避けている。
癌で余命宣告をする場合、医学的見地からいって余命1年、余命半年、余命3カ月と順次宣告期間が短くなっていくものであるが、事前になんの予兆、予告もなく『突発的に余命3カ月、実際は余命1カ月宣告』をしたということは、『卵巣癌の疑いではなく内臓損傷が原因』であると白状したも同然である。誤魔化せるわけないだろう。
産婦人科主治医は、『デタラメな診断』を平気でする『インチキ医師』で、医師の倫理規範を満たさない『極めて悪質、悪辣な医師』である。明らかに『内臓損傷』であるのに、癌で使われる『余命宣告を悪用』した『余命宣告詐欺』ともいうべき邪道の診断であった。まことに下劣な医師である。さっさと『医師免許返上(廃業)』することを強く勧める。
5月20日の余命宣告以降の産婦人科主治医は、『ウソ』を随所にまじえて『いい加減な』説明を繰り返した。ウソをウソとも思わない『いびつな神経』の持ち主のようだ。主治医は医師としての矜持を持ち合わせていない、実に『たちの悪い』医師である。
『内臓損傷』であるとはっきり認識していながら、『卵巣癌の疑いの如き前提で診察』を続けて、母を『だまそう』とする態度は極めて悪質、卑劣である。
≪今後近いうちに再度腹水穿刺必要となる可能性高い≫
≪苦しくなれば連絡を→そしたら入院穿刺ドレナージを≫
≪厳しい旨、予後が月単位であること、夏はこせない可能性がある≫
と記している。『卵巣癌』という病名はどこにも書かれていない。
5月8日夜には、腹水を全部抜いてしまったと産婦人科主治医自身が言っているのに、さらに『近いうちに再度腹水穿刺が必要になる可能性が高く』、『苦しくなったら入院穿刺ドレナージを』、と記している。
腹水穿刺を繰り返せば、『急速に体力が低下』して、『全身状態が悪化』し、『死期を早めるだけ』である。
これは明らかに母を『すみやかに葬り去って』、『証拠を消し去らんとする明確で強固な意志』のあらわれである。『病死として解剖しないで処理するつもり』でいた。なんと残忍で卑劣な企みであることか。恐ろしい『鬼畜の医師』である。
5月20日の中野なおクリニックへの『診療情報提供書』で、『腹部膨満感は更なる増悪傾向を認めてきており、かなり病勢が進行してきている』、『今後月単位での進行が予想される』と記している。
4月28日の産婦人科主治医の診察では、『4月24日に採血の血液検査は、腫瘍マーカー類は横ばいないしは下がっており、血液検査の結果も申し分ない』と病状に異変はないと説明している。
4月28日には『病状に異変はない』としていて、5月7日、8日に僅かしかなかった腹水を抜いたばかりなのに、5月20日になると『腹部膨満感は更なる増悪傾向を認めてきており』ということなど、常識的に考えてあり得ないことではないか。『かなり病勢が進行してきている』という病名をはっきり書いてみろよ。
誰が考えても5月8日の『腹水全部抜きと内臓損傷が原因』であると分かる。
腹部膨満感の更なる憎悪傾向の原因は、『内臓損傷』と分かっているので、あえて『卵巣癌の疑い』が原因とは記していない。
産婦人科主治医は腹水穿刺以降、母が亡くなるまで常に『卵巣癌の疑い』という表現は避けている。実際は『内臓損傷であると認識していながら』、『卵巣癌の疑いのごとく装って』、あえて病名の明示を避けている。
5月23日、20日付け『診療情報提供書』の余命宣告を見て、急遽中野なおクリニックの院長がはじめての往診に現れ、『麻薬』とは一言も言わないで、『痛め止め』ですとだけ言って、いきなり『point of no return の麻薬1mg』の処方箋を置いて行った。私はこの人物が誰なのか分からなかったので名前を確認した。
初めて処方する『痛め止めが麻薬』ということは、ただの痛みではなく、重大な損傷が内臓で起きているのを承知で処方したのであろう。『麻薬』を処方する理由説明もしないで、処方箋を書くと『そそくさと引き上げて行った』。医師としての『説明責任、告知義務』を果たしたとは到底言えない。
5月27日、産婦人科主治医の最後の診察。麻薬の効果で体調は比較的良好であったが、主治医は『体調によっては入院させて、腹水穿刺をするつもりでいた』と母に語った。早く葬り去って、証拠隠滅をしたかったようだ。
6月3日、お腹全体の痛みが強くなっているので、麻薬を2mgに増量。
6月4日、麻薬増量の効果はほとんど無く、食欲も無くなる。
6月6日、体調最悪、強い吐き気を感じる。食事ものどを通らず、水もほとんど飲めなくなった。
6月9日、この先はもう急坂を転げ落ちるように衰弱が進んでいった。
6月10日、アルバイトの訪問医が往診の帰り際に、母は『今月一杯もたない』と私に告
げたが、ただ呆然として聞いていた。
6月13日、『訪問看護と訪問入浴』を受け始めた。
6月15日、『要介護3(1~5)』と認定。4月16日の『要支援1(1~2)』から、僅か二月
で『要介護3(1~5)』へと『4段階も悪化』した。
6月17日、アルバイト訪問医に、要町病院のKM-CART法で腹水を抜くことについて相談したことに対し、翌6月18日に往診に来た中野なおクリニック院長から、『今そんなこと(腹水抜き)したら死んでしまうよ』と言われた。
産婦人科主治医が5月20日に『余命3カ月宣告』をした日のカルテには、『今後近いうちに再度腹水穿刺必要となる可能性高い』と記されている。
これは明らかに母を『すみやかに抹殺』することを企図した言葉であろう。辻浩介主治医は、信じ難いほど悪辣な悪徳医師である。
6月に入って、日々急速に体力を消耗していき、寝たきりの状態が続いたが、とうとう『6月22日朝、自宅で帰らぬ人となった』。余命は主治医が宣告した3カ月ではなく、たったの1カ月であった。
『卵巣癌の疑いのⅢ期での死』と考えるには、あまりに『突発的で急激な衰弱』のしかたで、どう考えても『不自然で不可解な病状悪化』であった。
何かあったら元看護師長に連絡するようにと、日頃母から言われていたので、すぐに向かい住む元看護師長に診てもらい、解剖を主治医にお願いすると伝えた。このあと中野なおクリニックの院長に連絡した。
中野なおクリニック院長が『死亡診断書』を書いたが、その際1年半も往診をしていたのに『病名は何ですかと聞かれた』のには驚いた。院長は『内臓損傷』と分かっていながら、事情を知らない私に『卵巣癌と言わせて、そのまま記入』した。『死因となる病名も分からないで死亡診断書を書く』ことなどあり得ないであろう。病名が分からなければ、『病名確定のための病理解剖を勧めるはず』であろう。
この後、産婦人科主治医に電話して、かねてより母が主治医と約束していた剖検をお願いした。
母は『卵巣癌の疑い』と診断された早い段階から、『今後の医学の進歩に役立ててほしいと考え、死後の剖検』を産婦人科主治医に頼み、主治医も快諾していた。
産婦人科主治医は元看護師長から既に母の死を知らされていて、『解剖依頼拒否の模擬回答を元看護師長と事前に練っていた』。
私の解剖依頼に産婦人科主治医は躊躇なく、とうとうと、
≪こちらで解剖するための手続きは煩雑で、ものすごく大変ですよ。≫
≪車の手配もありますし。≫
≪診察の際に話には出ましたが、正式に約束したわけではありません。≫
≪医学的には既に診断がついていることなのです。≫
≪いまさら解剖しても得られるものは何もありません。≫
≪解剖することに、何の興味も関心もないし、意味もないことです。≫
と『冷淡、冷酷に強弁』し、いくらお願いしても『再考の余地なしの一方的な拒絶』にあって、不本意ながら『解剖を断念』させられた。『卑劣で卑怯な野郎の不快極まりない逃げ口上』をたっぷりと聞かされた。『ふざけるな、このバカ野郎』。
『手術もしてないのに、医学的には既に診断がついている』とはよく言えたものだ。『癌の診断は手術で摘出したものを病理組織診断することで診断がつく』と、話したのはどこのどいつだ、主治医よ。
『いまさら解剖しても得られるものは何もありません』とはなんだ。だったら何の目的で解剖が行われているのか。『解剖医の道楽』かね。解剖の必要性をまったく理解できていない愚劣な医師であると産婦人科主治医自ら白状している。情けなく、嘆かわしい限りである。
これは正規の医学教育を受けたまっとうな医師にはあり得ない、『医学の正道を大きく踏み外した暴論』である。どう考えても産婦人科主治医の『精神は腐りきっている』。
遺族が解剖を望み、病名も確定していないのに解剖を拒絶するのは、『医師の倫理規範に反し』、『医師としての自覚に欠け』、『医師に課された責務を放棄』した医師にあるまじき『愚劣なクズ医師』の所業というほかない。
解剖することに、何の興味も関心も意味もないと言っているが、真意は『解剖したら隠していた内臓損傷の事実が明るみに出て』、すべてがばれてしまうから恐ろしくてできないということであろう。
産婦人科主治医にとって解剖は、『パンドラの箱』である。だから絶対に開けてはならぬのである。開ければすなわち自身の『医師生命の終わり』を意味する。こんなレベルの医師の医師生命など早く終わった方が世のため、人のためだ。
2015年6月22日の産婦人科主治医のカルテ。
≪2015/6/22自宅にて永眠されたと連絡あり≫
≪往診Drにて死亡確認していただけたとのこと≫
≪死因は病死で明らか、養子の方と相談し病理解剖は実施せずとした≫
産婦人科主治医はカルテに『死因は病死で明らか』と書いているが、手術も解剖もしていないのに、どうやって病名を確定したのか。病死で明らかと書きながら、『病名が書いてない』。カルテに虚偽記載する主治医は、たちの悪い『稀代の大ウソつき』である。『死因は医療事故による内臓損傷死で明らか』と書くべきであろう。この大バカ者め。
カルテには、遺族と相談し病理解剖はせずとした、と書いているが、相談なんかではなく私の懇願に対する一方的な拒絶であった。産婦人科主治医にとって『ウソをつくのは息をするようなもの』であろう。まったく手に負えない野郎だ。
内臓損傷で亡くなったと分かっていたら、絶対に引き下がることはなかったが、残念ながらこの時点では卵巣癌と思い込まされていたため、はね返すことができなかった。
2014年8月8日の放射線科医から産婦人科主治医への他科依頼返信には、『死後剖検のこともある様で、在宅死を希望されつつも、当院での剖検も希望されています』と明記されている。
産婦人科主治医は2013年6月11日の『インフォームド・コンセント』に、『卵巣癌と診断が確定した訳ではない』、『卵巣癌の診断は手術で摘出したものを病理組織診断することで診断となる』と記している。
手術もしていないのに『医学的には既に診断がついていることなのです』、『いまさら解剖しても得られるものは何もありません』とは、誠意のかけらもない『インチキ野郎』、『イカサマ師』の本領を余すところなく発揮した、『堕落したクズ医師』の実に『ふざけた言葉』であった。
が頼り切っていた産婦人科主治医から返ってきた言葉は、愚か者の身勝手な『たわごと』ばかりで『むなしさ』だけが残った。
2015年6月22日に母が亡くなった20日後の7月12日に、産婦人科研修医が『過労自殺』していたことを、2年後の2017年8月10日の『労災認定報道』で初めて知った。
労災認定報道直後の8月中に、産婦人科主治医は東京医療センターから系列上位の『慶応病院婦人科に移動、栄進』している。同時にそれまで複数人いた産婦人科の『研修医が一時的にゼロ』になった。『医療事故隠蔽が目的』であろう。
ほとぼりが冷めたのを見計らうように、現在の産婦人科の医療スタッフは、医師7名に研修医7名で、研修医が半分を占めている。このブログを公開したら、すぐに研修医の人数は減ると思う。姑息なことをする病院だから。
≪≪≪産婦人科吾研修医≫≫≫
産婦人科研修医は鳥取大学医学部を卒業後、2010年4月から福岡の医療法人の病院で初期研修をスタート、3年経過後(通常は2年で終了)の2013年4月に東京医療センターで後期研修に移り、『研修6年目(通常は5年で終了)』であった。
2015年4月以降、産婦人科研修医は『抑うつ状態や睡眠不足、注意力の減退などの症状がみられるようになり、精神疾患を発症』していた。
2015年5月7日、産婦人科主治医の指導のもと、母の腹水穿刺を実施し、腹水を1000mL抜去して、セルブロック(細胞診断)に提出。
5月8日、産婦人科主治医が4月22日の診察で『腹水量が少ないと認識』し、5月7日には既に1000mLを抜いていたにもかかわらず、腹水の残量をチェックすることなく、『漫然とさらに1000mL目標に腹水抜きを指示』。
5月8日、看護師カルテには、
≪9:00 腹腔穿刺実施≫
≪9:45 腹水流出ストップしたためDr報告(排液700ml)≫
≪10:15 Dr研修医にて刺入部角度変更し、
シリンジで陰圧かけるが腹水流出なし≫
≪2日でtotal 1700ml腹水排液≫
5月8日、産婦人科研修医のカルテには、
≪10:16 腹水700mLで流出が止まった≫
≪(穿刺針の)向きや深さを変えたり、シリンジ(注射器の筒)で陰圧かけるも引けず。≫
≪腹水穿刺終了とした。≫
と記録されている。
腹水穿刺では腹壁と内臓との距離が十分に空いている、安全な穿刺位置をエコー装置で探して、穿刺針を腹腔内の腹水溜まりに刺し込み、穿刺針が抜け落ちないように『腹部にテープで固定』する。
腹水が抜け切ると、メインの腹水溜まりがあった『腹腔内にスペースがなくなる』ので、腹部にテープで固定された穿刺針は、『必然的に内臓に突き刺さる』。
看護師が産婦人科研修医に腹水流出が止まったと報告した30分後に、やっと研修医が病室に戻って処置を再開している。つまり30分もの間、穿刺針が内臓に突き刺さったまま放置されていて、その間にすでに内臓から内容物が漏れ出していたことになる。
産婦人科研修医には事態の重大さがまったく理解できていなかったようで、緊張感に欠けた緩慢な対応であった。
産婦人科研修医は700mLで流出が止まった時点で、すでに『内臓に突き刺さっていた穿刺針』の『向きや深さを変え』、さらに『シリンジ(注射器の筒)で陰圧をかけ』て、主治医に『指示された1000mL目指し』て、『強引に腹水を引き抜こうとした』。
産婦人科研修医は内臓を突き刺しまくって、内臓に多数の穴を開け、図らずも内臓から内容物を引き抜こうとまでした。
メインの腹水溜まりの腹水が全部抜けただけでも、『体調を維持するうえで極めて危機的な状況』であるのに、さらに内臓に繰り返し穴をあけて『内臓を著しく損傷』させている。
産婦人科研修医の行為は、『医学の常識ではありえない蛮行』であり、『とてつもないダメージを体に与えた』。主治医が施術の人選を誤ったことは明白である。
これは明らかに産婦人科研修医が犯した『重大な医療過誤』であるが、腹水穿刺を指揮、指導した主治医による『無謀で杜撰な穿刺目標が誘因』したことを考えると、研修医以上に主治医の医療過誤に対する責任は重大である。
5月8日夜に産婦人科主治医が病室に現れ、『(腹水を)全部とるのはまずいが、結局全部抜くことになってしまった』、『一番入ってほしくない路線に入ってしまった』と母に話している。
産婦人科主治医は腹水穿刺後の研修医のカルテを見て衝撃を受け、『研修医を厳しく叱責』したであろうことは想像に難くないが、そもそも主治医が、『無謀で杜撰な穿刺目標』を与えたことが『医療過誤の原因』であることを考えれば、研修医を指揮、指導する立場にあった『主治医の責任こそまず第一に問われなければならない』。
産婦人科研修医による内臓損傷で体調が急速に悪化した母は、2015年6月22日に息を引き取った。
解剖依頼すべく産婦人科主治医に連絡したが、『冷淡で冷酷な拒絶』にあって解剖を断念させられた。
産婦人科研修医にもすぐに母の死が伝えられたであろう。研修医がひどく落ち込んだであろうことは容易に想像がつく。
20日後の2015年7月12日に産婦人科研修医が『過労自殺』したことを、2年後の2017年8月10日に遺族の代理人弁護士が、『記者会見で労災認定を発表』したことではじめて知った。
研修医が過労自殺で労災認定された場合、研修医名や病院名が公表されることが多いのに、この産婦人科研修医の場合は両者ともに伏せられた。
産婦人科研修医の過労自殺が公になると、医療事故の存在を認めることになる、新たな証拠となるのを警戒してのことであろう。
私は『日本産科婦人科学会雑誌2015年10月号雑報の慶弔欄』で、産婦人科研修医の名前と死亡退会日を確認した。
労災認定の記者会見記事には、産婦人科研修医が『2015年5月と6月』に、『道路交通法違反(信号無視)』とあるが、これはちょうど5月8日の腹水穿刺での医療過誤と、6月22日の母の死に時期的に符合している。
産婦人科研修医が2015年4月から精神疾患を発症していたと知りつつ、『現時点の量では腹水量が少なく、リスクの方が恐い』と認識していた危険を伴う腹水穿刺に、2015年5月7日、8日に従事させたことは、『予知できるリスクに対する配慮、対策を著しく欠いた無謀な処置』であり、東京医療センターと産婦人科主治医が『安全配慮義務に違反』したことは明白で、両者の無為無策の責任はまぬがれない。
≪≪≪産婦人科元看護師長≫≫≫
産婦人科元看護師長は、独立行政法人国立病院機構『東京医療センター産婦人科看護師長』、国立研究開発法人『国立国際医療研究センター看護部長』を経て退職後、母の『卵巣癌の疑い』の治療の相談にのっていた。
循環器科医師処方の心房細動治療の『抗凝固薬』を2015年3月9日から服用し始めたことで、4月に入ると母は腹部膨満感に悩むようになり、向かいに住む産婦人科元看護師長に相談したところ、腹水を抜くことを勧められた。
産婦人科元看護師長は、腹水抜きについて、『安全で何も心配することはなく』、『お腹が楽になる処置』であると説明して、リスクには触れなかった。そのせいで母は腹水抜きについて『不安のそぶりも見せない』どころか、むしろ『希望を託している』といった様子であった。
4月22日に産婦人科元看護師長は主治医の診察に同行して、『腹水穿刺を打診』したが、主治医は『穿刺は肝臓・小腸近く、現時点の量ではリスクの方が恐い』と言って、『腹水穿刺には否定的』であった。
4月26日の産婦人科主治医の診察にも、再び同行して『腹水穿刺を強く迫った』ことで、主治医は押し切られて『腹水穿刺に同意』した。
産婦人科元看護師長は、その後看護部長まで務めた経歴の持ち主である。看護師トップの看護部長は、医学の素人とは違い医学知識、看護経験ともに豊富で、当然腹水抜きのリスクについても知り抜いていたはずである。
『腹水が少なくリスクが大きい』と分かっていながらの、腹水穿刺への異常なこだわりは、不可解で理解不能である。
元看護師長は、東京医療センター産婦人科元看護師長としての経歴、立場を利用して、主治医の治療方針を自身が思い描く方向に誘導したようだ。
5月7日、産婦人科元看護師長は腹水穿刺のための入院にも同行した。3回続けての同行となったが、いずれもカルテに同伴の記載はない。
5月7日、8日に産婦人科主治医の指揮、指導のもと、研修医が腹水穿刺を実施した。研修医は、1年オーバーの研修医6年目で、4月からは『精神疾患を発症して、抑うつ状態にあって注意力が減退』していた。
5月8日の腹水穿刺で、産婦人科研修医はメインの腹水溜まりの腹水を全量流出させたうえに、内臓を損傷するという『重大な医療事故』を起こした。
5月20日の腹水穿刺後はじめての診察で、産婦人科主治医が突発的に晴天の霹靂の『余命3カ月宣告』をした。
産婦人科元看護師長は、主治医から『医療事故の顛末』と『余命は長くても3カ月』と前もって知らされており、自身が腹水穿刺を『強引に押し進めたいきさつ』からも、当然診察に同行して対処すべきであったのに、これ以降一切かかわろうとしなかった。
『医療事故』が起きて『余命は長くても3カ月』と知ると、あとは東京医療センターの問題として、さっさと表舞台から姿を消して『高みの見物』を決め込んでしまった。産婦人科元看護師長の『無責任さ、卑劣さ』は尋常でない。深い信頼を寄せていた母に対する許しがたい『裏切り』、『配信行為』である。
産婦人科元看護師長は、主治医の4月22日の判断を覆し、『意地を張って』腹水穿刺させたのだから、内臓損傷という結果に極めて大きな責任を負っているにもかかわらず、その引け際は卑劣極まりないものであった。
以後、母が亡くなるまで、自分には関係ないことと言わんばかりに、『素知らぬ顔でしばしば母に接していた』。おおむね想定の範囲内の展開で、余裕をもって見ていたのだろう。産婦人科元看護師長の神経の図太さは特筆ものである。
母は家が向かいにあることもあって、産婦人科元看護師長の家族とは、元看護師長の養父、養父の養母と血縁のない家系ではあるが古くからの付き合いで、元看護師長の子供2人には長い間ピアノを教えており、実に4世代にわたる因縁浅からぬ関係であった。
当初ピアノは姉一人に教えていて、2年ほど後になって弟にも教えることになったが、元看護師長は素知らぬ顔で、相変わらず『月謝は一人分だけ』子供に持たせてきた。
太っ腹の母も前代未聞のことでさすがに仰天していたが、そのまま様子を見ていた。
数年後に元看護師長の義母が月謝を一人分しか払っていないことに気づき謝りに来た。それ以降は義母が補填して、二人分の月謝を持参するようになった。
こうした経緯があったにもかかわらず、元看護師長は平気で借りた『恩を仇で返す』ことをしたようだ。
母はこと医療に関することでは、産婦人科元看護師長に全幅の信頼を置いていたので、元看護師長が『腹水を抜けば楽になり、リスクもない』と言えば、その言葉を疑うことはなかった。
産婦人科元看護師長は、『うちの先生方はみな慶応(病院)から来ているんですよ』と東京医療センターの現役の看護師の頃に母に話していた。
この話を聞いた母は東京医療センターの医師は、みな慶応大学医学部を卒業した優秀な医師であると思い込んでいた。
東京医療センターで診察待ちをしている時に、『私は今、最高の医療を受けていると思うの』、『ここでダメだったら、もう諦めるしかないわね』と私に話したことがある。
それもあって、眼科研修医、循環器科医師、産婦人科主治医、同研修医はみな慶応大学医学部卒業の優秀な医師であると思い込み、この医師たちの指示に従っていれば安心と考え、疑いを持つことなく素直に従った。
ところが、これら医師はみな慶応大学医学部卒業ではないことを母の死後、ネット検索で知った。母は産婦人科元看護師長から、とんだ『ガセネタ』を掴まされていた。東京医療センターの医療は、『最高の医療』どころか患者の健康への配慮を欠いた『ビジネス本位の医療』でしかなかったというのが実感である。
産婦人科元看護師長の最終目的は、腹水穿刺を繰り返すことで母の体力を消耗させて、最終的に母の『あまたの記憶』を消し去ることではなかったかと勘ぐりたくなる。『あくどい』ことを考えるものだ。
産婦人科元看護師長のような知識、経験が豊富な人から受ける医学上のアドバイスも、好ましからざるバイアスがかかっていれば、予期せぬ結果をもたらすことになる。
≪≪≪中野なおクリニック院長≫≫≫
中野なおクリニックとは、2014年1月に『訪問診療契約』を結び、母が亡くなるまでの1年半の間、訪問診察を受けた。
当初母は、区役所で紹介された別の訪問医を考えていたが、東京医療センターの強い勧めで、中野なおクリニックに決めた。
中野なおクリニックは、『20分ほどの訪問診察が月2回』で、後期高齢者医療保険の1割負担が適用されて月々1万円の支払いだったので、中野なおクリニックの保険診療報酬は月10万円ほどになり、診察内容に比べて随分と高額な報酬を得ていたことになる。
中野なおクリニックが母の『卵巣癌の疑い』の診察で、実質的な役割を果たすようになったのは、2015年4月1日に循環器科医師が、自身が診断した心房細動の治療を、『通院も大変だろうから、今後は訪問医療クリニックの訪問医から薬を頂きなさい』と言って、『24時間ホルター心電図検査結果』が添付されていない『診療情報提供書』を母に預け、4月1日のアルバイト訪問医の往診時に母が直接手渡してからである。
循環器科医師は、『これは大変だ、ほっておいたら脳梗塞になる』と言って、無理やり心房細動の治療薬を服用させておきながら、まったく『経過観察』もしないで『後はよろしく』と言わんばかりに、中野なおクリニックに『一方的に放り投げ』た。実に無責任な『丸投げ』で、医師にあるまじき不埒で無責任な所業であった。
4月1日、アルバイト訪問医の往診で『血圧104/44、脈拍41』だったので、アルバイト訪問医が帰院後に中野なおクリニック院長の指示で、『メインテート(降圧薬)を朝だけ』にするよう電話してきた。4月6日になって、体調不良をアルバイト訪問医に電話で相談したところ、さらに『シベノール(抗不整脈薬)も朝だけ』にするよう指示された。
循環器科医師から中野なおクリニックへの一方的な診察の受け渡しが、極めて不適切かつ不十分で、正式なものではなかったことは承知しているが、曲がりなりにも形のうえでは心房細動の治療を、循環器科医師から受け継がされたことになるので、ここからは中野なおクリニックが『フリーハンド』で心房細動の治療にあたることもできたはずである。
中野なおクリニックの院長は循環器が専門であることを考えると、4月1日に『血圧104/44、脈拍41』と診察された時点で、循環器科医師の処方に疑問を持って、より積極的で果断な処置をとれたのではないか。
『メインテート(降圧薬)、シベノール(抗不整脈薬)を半分にする』だけでなく、さらに一歩進めて『エリキュース(抗凝固薬)も含めたすべての心房細動治療薬を止める』ことも十分に考えられたはずである。
実際、4月22日には専門外の産婦人科主治医が、『メインテート(降圧薬)』、『シベノール(抗不整脈薬)』、『エリキュース(抗凝固薬)』すべての服用を止めさせている。
この点に関し、中野なおクリニックの院長は決断力に欠けていて、訪問医療医としての役割を十分に果たさなかったと考えている。
4月28日、産婦人科主治医は中野なおクリニックへの『診療情報提供書』で、5月7日に入院して『腹水穿刺実施を予定』、『今後は腹水穿刺を繰り返す』と記している。
中野なおクリニックの院長は、腹水穿刺実施前に『今後は腹水穿刺を繰り返す』と伝えられ、何の疑問も持たなかったのだろうか。腹水穿刺を繰り返せば、『体力を消耗して、死期を早める』ことくらいは当然理解していたはずである。中野なおクリニックからは母に何の警告も発せられなかった。
5月7日、8日に産婦人科主治医の指揮、指導で研修医が腹水穿刺を実施した際に、メインの腹水溜まりの『腹水を全部抜き取った』うえ、さらに『穿刺針の不適切な操作で重大な内臓損傷』を起こしてしまった。
5月9日、腹水を抜いた翌日には、こんどは別のところが痛くなってきて、お腹が前より膨らんできたと母が言いだした。これ以降、腹部は徐々に膨らんでいった。このことは5月13日の往診の際に、アルバイト訪問医に当然話している。
5月13日、中野なおクリニックのアルバイト医師に、『(腹水を)全部とるのはまずいと言っていたのに、結局全部抜くことになってしまいました。』と辻浩介主治医が母に話したと伝えた。
アルバイト医師は内科が専門であるが、腹水を全部抜かれたとなれば、当然のことながら体に重大な悪影響が及び、さらに内臓を損傷した可能性があることも十分に推測できたはずであるのに、何ら警告を発することはなかった。
腹水全部抜きも内臓損傷も、もちろんアルバイト訪問医の責任ではないが、訪問医として知りえた患者の容体については、当然『説明する責務』があるはずだ。
アルバイト訪問医は医師、訪問医としての『説明責任と告知義務』をしっかりと果たしたとは到底言えない。
訪問診療医の仕事って何ですか。『ただ傍観して看取り』をすればいいんですか。稼いでいる報酬に見合うだけの仕事をしましたか。
5月20日、腹水穿刺後はじめての診察で、産科婦人科主治医は突発的に青天霹靂の『余命3カ月宣告』をした。
5月20日の中野なおクリニックへの『診療情報提供書』で、『腹部膨満感は更なる増悪傾向を認めてきており、かなり病勢が進行してきている』、『今後月単位での進行が予想される』と記している。
これを読んで中野なおクリニック院長は間違いなく『内臓損傷』を確信できたはずである。
5月23日、20日付け『診療情報提供書』の余命宣告を見て、急遽中野なおクリニック院長がはじめての往診に現れ、『麻薬』とは一言も言わないで『痛め止め』ですとだけ言って、『point of no return の麻薬1mg』の処方箋を置いて行った。何が原因の症状に対する『痛め止め』なのか、まったく説明しなかった。
はじめての『痛め止めの処方が麻薬』であるということは、体が極めて危険な状態、つまり『内臓を損傷』しているということであろう。
中野なおクリニック院長は『内臓損傷』とは一言も言わず、処方箋を書くと『そそくさと引きあげていった』。
これが中野なおクリニックの訪問医療の実態である。決定的に欠けているのは、『症状の本質に関わることについて、コミュニケーションをまったくとらない』。『肝心かなめな点について説明不足』で患者、家族は状況を把握できない。『知らしむべからず』に徹しているようだった。明らかに訪問医として不適格で、母は訪問医の選択を誤った。
6月10日、アルバイトの訪問医が、母は『今月一杯もたない』と私に告げた。これは『腹水全部抜きと内臓損傷を前提』とした言葉で、『卵巣癌の疑いのⅢ期』であれば、こういう表現はありえない。
6月17日、アルバイトの訪問医に、要町病院のKM-CART法で腹水を抜くことについて相談したことに対し、翌6月18日に往診に来た中野なおクリニック院長が、帰り際に『今そんなこと(腹水抜き)したら死んでしまうよ』とだけ言って、『そそくさと引き上げていった』。なぜ今腹水抜きしたら死んでしまうのか、しっかりと説明すべきであろう。毎度のことながら、『納得のいく説明がまったくなされない』。
中野なおクリニック院長は明らかに『腹水全部抜きと内臓損傷』で重篤な状況にあると認識しており、決して『卵巣癌の疑いのⅢ期』が原因とは考えていなかったことが分かる。
中野なおクリニックは、『腹水全部抜きと内臓損傷』で体調が極度に悪化しているとはっきり認識していたにもかかわらず、一切説明しようとしなかった。一体なんのための訪問医療なのか。『ただの看取り医』なんですか。気楽な稼業ですね。
6月22日朝、母は自宅で息を引き取った。すぐに中野なおクリニックの院長に連絡した。
中野なおクリニックの院長は『死亡診断書』を書きながら、『病名はなんですか』と聞いてきた。1年半も往診を続けていて、病名が分からないとはどういうことですか。
内心では『内臓損傷』と分かっていても、まさかそうも書けないので、『私に卵巣癌と言わせて、そのまま記入した』。
『死亡診断書』って、そんないい加減なものですか。
『死因となる病名も分からないで死亡診断書を書く』ことなどあり得ない。病名が分からなければ、病名確定のための『病理解剖』を勧めるべきであろう。
6月29日の葬儀のあと、7月4日になって、中野なおクリニックの院長が焼香に来宅。1年半に渡って月2回(計約36回)の訪問診療を続けたアルバイトの訪問医は焼香に現れず。別にかまわないですが。
中野なおクリニックの院長は、その場で『早く忘れたほうがいいですよ』と言った。何かを隠したい、消し去りたいとの気持ちがありありと表れた言葉である。
親が亡くなったのに、『早く忘れたほうがいい』とは一体どういうことなのか。なんで早く忘れる必要があるのか。自然死でも忘れられるものではないのに、ましてや不可解死であり、のちに医療事故死と分かるような死に方をしているのに、『何をか言わんや』である。
『早く忘れたほうがいい』ではなく、『早く忘れて、みんな無かったことにしてほしい』ということであろう。『腹水全部抜きと内臓損傷』が原因で体調が急激に悪化したと分かっていながら状況をまったく説明せず、かと言って『卵巣癌の疑い』での体調悪化とももちろん言わない。
つまり病状について具体的に何も説明していない。今になって振り返ってみると、一体何しに訪問診察に来ていたのだろうと考えてしまう。母も私も『卵巣癌』と捉えていたが、体調悪化の原因が実はまったくの別物であった。『説明責任と告知義務を果たしていない』ことは明白である。
『早く忘れたほうがいい』という言葉こそ、忘れられない。
中野なおクリニックは、東京医療センターから末期の患者を紹介してもらっているので、言ってみれば『元請け、下請け』のような関係にあり、元請けの東京医療センターへの忖度のあまり、患者の健康には配慮が欠けていたようだ。
東京医療センターに限らず、病院から紹介される訪問医療クリニックは、『患者第一にはならない』可能性が高いので敬遠するのが賢明であろう。
≪≪≪まとめ≫≫≫
眼科 研修医 白内障手術前に心房細動の治療を強要
産婦人科 主治医 リスクが恐いと認識しつつ腹水穿刺に同意
産婦人科 元看護師長 意地で主治医に腹水穿刺実施を迫る
中野なおクリニック 院長 内臓損傷と知るも沈黙
2015年1月以降に母が診察、治療を受けた、東京医療センターの5人の医師、研修医、元看護士長と、訪問医療の中野なおクリニックの院長の、不可解で理解に苦しむ医療処置について説明してきた。
こうして振り返ってみると、よくもまあ『5人も連続』して、母の『卵巣癌の疑い』の治療を妨げるどころか、『むしろ悪化させて、最終的に死に至らしめる』ところまで連携できたものだと驚くほかない。
問題ある医師、看護士が『5人も連続』して出てくるというのは、常識的に考えても、『確率的にもあり得ない』ほどのことで、東京医療センターというところが、よほど『平均以下のレベルの低い迷医』が揃った病院だと、つくづく呆れさせられる。
どの病院にも出来の悪い医師、看護士はいるだろうが、医療従事者としての『自覚、能力、判断に問題がある』医師、看護士が、『5人も続けざま』に診察、診療に関与するなど、考えられないことである。
五つのうちのどれか一つのピースでも欠けていたら、母が死ぬことはなかったのではないかと考えてしまう。
一連の流れのなかでも『最大で決定的なあやまち』だったのは、産婦人科主治医が『腹水量が少なくリスクの方が怖い』、と考えていた腹水穿刺を決断したことである。腹水穿刺さえ思いとどまっていたら、このような重大な結果にはならなかったはずである。
東京医療センターというのは、患者にとって全幅の信頼がおける病院ではないようだ。なにせ医師として疑問を持ちたくなるようなレベルの医師が少なからず在籍していて、診察にあたる医師のレベルを予め知ることができないのだから。
ほかに選択肢があれば、東京医療センターの受診は避けるのが賢明であると実感した。
眼科研修医から『心房細動』の疑いを指摘され、予め決められていたであろう連携プレーで、循環器医師の『不見識な心房細動診断』に至り、必要ないどころか有害でしかない治療薬を処方されたのは、東京医療センターの『ビジネス本位の診療』システムに組み込まれた、シナリオに沿った流れであったのだろう。
必要のない検査、診断、処方で保険診療報酬を稼いで、見せかけの診療実績を積み上げるだけの、まさに病院本位で患者の健康への配慮に欠けた悪徳医療の典型である。心房細動治療薬の処方に至っては、製薬会社との癒着も疑われる。
循環器科医師が、『24時間ホルター心電図検査』では『要観察』の結果が出ていたにもかかわらず、『これは大変だ、ほっておいたら脳梗塞になる』と脅して、強引に『心房細動治療薬を処方』しながら、経過観察をしないどころか、十分な医療情報も与えないで、『心房細動の治療』を中野なおクリニックに『一方的に押し付けた』行為は、どう考えても正当化できるものではない。
循環器科医師をまともな医療従事者と考えることは到底できない。精神分析が必要ではないか。何かが狂っているようだ。
現在の産婦人科の医療スタッフは、医師7名に研修医7名で、研修医が半分を占めている。研修医が多い分、未熟な研修医の練習台になる患者も多くなる。
もちろん医師の指導は受けるにしても、実際の処置は研修医まかせとなりがちで不安が残る。現実に母のケースがその典型例である。
研修医の労災認定報道をみると、低賃金で医師に都合よく使いまわされて、長時間労働の果てに精神的、肉体的に疲弊した状態で処置にあたらされていることが多いようだ。
産婦人科研修医による腹水穿刺は、医学的常識を大きく逸脱した非常識極まりない処置であった。未熟で疲労困憊した研修医が、何かのきっかけで暴走することも想定して、万全の対策を立てておく必要があろう。
2015年5月に母の腹水穿刺をする前の4月から、産婦人科研修医は精神疾患を発症していたと労災認定報道にある。東京医療センターの研修医に対する杜撰な業務管理のゆえに、『リスクが恐い』と産婦人科主治医が難色を示していた母の腹水穿刺を、精神疾患を発症していた研修医が担当することになった。
所属の医師の健康管理もまともにできないような東京医療センターに、はたして患者の健康管理が遺漏なくできるのであろうか。母の例からしても、はなはだ疑問が残る。
産婦人科研修医の腹水穿刺による内臓損傷が母の致命傷になったが、そもそも腹水穿刺については、主治医が『リスクが恐いと難色を示していた』にもかかわらず、元看護師長が『意地を張って』半ば強引に腹水穿刺に同意させたであろう経緯からも、主導者は元看護師長で、追従者が主治医となろう。
ただ医師として腹水穿刺実施の最終決断をしたのは産婦人科主治医であり、いかに追従しただけとはいえ、その責任は重い。元看護師長は、すでに病院を退職していたとはいえ、経歴を考えれば道義的責任は免れまい。
母は東京医療センターの強い勧めで、中野なおクリニックと訪問診療の契約をしたが、東京医療センターが母の既定の方針に強引に割って入って、強く勧めた事実からも中野なおクリニックとは、なにがしかの特殊な関係にあるようだ。
たとえてみれば『元請け、下請け』のようなもので、下請けの中野なおクリニックからすれば、元請けの東京医療センターに『立てつく』ことはご法度であろう。
となれば患者の健康管理はとりあえず差し置いて、東京医療センターに忖度した診療にならざるをえまい。
現実に中野なおクリニックは、母が腹水を全部抜かれて内臓を損傷していたことを十分に認識していながら、そのことには一切触れず、あたかも『卵巣癌の疑い』が進行しているかのごとき前提で対応していた。
中野なおクリニックは、『内臓損傷』とも『卵巣癌の疑い』とも説明しないで、淡々と診察を続けていた。医師としての『最低限の基本的なコミュニケーションがまったくできていなかった』。
『内臓損傷』と説明されても、もはや手の施しようがなかったかもしれないが、『卵巣癌の疑い』で病状が悪化しているのではないと、明確に説明してくれていれば、産科婦人科主治医に『断固として解剖を要求することができた』ことを考えると、まことに残念至極で無念の境地である。
中野なおクリニックは、『説明責任も告知義務も果たしておらず』、『訪問診療医としての契約上の職務をまっとうしていなかった』ことは明白である。
かかりつけの病院から紹介される訪問診療医は極力避けるべきというのが、今回得られた貴重な教訓である。
詳しくはオンラインストレージDropboxの「闘病記」フォルダ内pdfファイルを御覧ください。
https://www.dropbox.com/sh/1kr7ag1629iw1m7/AADiUCYwN7we9fmo3vYoXS-Ka?dl=0