東京医療センターの重大医療事故(6)からつづく
■■■中野なおクリニック 院長 ■■■
■■■中野なおクリニック 訪問医■■■
ふたたび、訪問医療の中野なおクリニックに話を移す。
≪≪≪麻薬使用開始≫≫≫
【2015年5月23日 訪問医院長診療レポート】
「足の浮腫はすごいです。」
「お腹の張りが辛いですね。食事も摂れているので腹水を抜
くよりは張り薬(フェントステープ)を貼って症状を取るよ
うにしましょう。」
2015年5月20日付の主治医の診療情報提供書を受け取って、急を要する事態になったと思い、5月23日に訪問医院長が突然初めての往診に来た。
『痛み止め』ですとだけ言ってフェントステープ1mgの処方箋を置いていったが、近所の薬局で購入する際、これは『麻薬』ですから患者以外は、絶対に手に触れないようにと、厳重に注意された。
麻薬を処方するのに、医師は麻薬について何も説明しなくてよいのか。麻薬という言葉すら使っていない。薬剤師が説明すれば済むことなのか。ルーズ過ぎると思う。
主治医が診療情報提供書に、『腹水穿刺を繰り返す』と書いているが、訪問医院長は『腹水を抜くより張り薬を貼って症状を取る』と言っている。
主治医は腹水穿刺を繰り返すと、どういうことになるのかまったく理解していないようだ。研修を終えて僅か2年で、医師として未熟すぎる。訪問医院長の処置の方が賢明であろう。
訪問医院長は訪問医からの報告で、腹水の全量流出と内臓損傷に伴う体調悪化であると分かっていたはずなのに、痛み止めの麻薬を処方しただけで、母がおかれた状況についてまったく説明しようとしなかった。医師の説明責任、告知義務はどこへいってしまったのか。
【2015年5月23日 母のメール】
『お腹がぱんぱんにはって苦しい』・・・。張り薬で麻薬系
とやらですが、訪問医療の(院長)先生が処方箋を出してくだ
さり、今お使いに出てもらっています。
[2015-05-23 母のメール]
お腹がぱんぱんに張って苦しいというのは、内臓損傷によるものである。
【2015年5月23日 母の日記】
訪問医院長先生、フェントステープ(麻薬)の処方を出して下さり、すぐ薬局で受け
取り昼食の前に貼って、夜中に苦しくなくてびっくり。
2015年5月24日、フェントステープで母の体調が一転して良くなる。
【2015年5月25日 訪問医院長診療レポート】
「張り薬の効果があって良かったです。お腹の張りは感じなくなっているのでこのま
ま様子を見させてください。あしの浮腫も変わらないようなので利尿剤は同じで様
子を見させてください。薬の副作用も出ていませんのでこのまま様子を見ます。」
≪≪≪訪問診療回数急増≫≫≫
2015年5月23日から、訪問医院長が週2回訪れるようになり、訪問医の週1回と合わせて、週3回の訪問診療になった。
訪問院長はいよいよ最終段階を迎えたと認識して、訪問診療回数を増やし始めたようだが、回数を増やした理由について一切説明なし。
2015年5月26日、フェントステープの効果が出て体調絶好調で、楽になる。タニタ体重計で測定した体重と体水分率のグラフにもはっきりと現れている。
[2015-05-26 体重、体水分率図(タニタ体重計で測定)]
[2015-05-26 体重、体水分率測定表(タニタ体重計)]
2015年4月1日にメインテート(降圧薬)、4月6日にシベノール(抗不整脈薬)をそれぞれ半減したが、体重は45kg台から少しづつ増え始めた。4月22日にエリキュース(抗凝固薬)を含めて心房細動治療薬3薬すべての服用を止めても47kg台からさらに増え続けた。
2015年5月8日にメインの腹水溜まりの腹水を全量抜き取った際の内臓損傷の後も、体重は増け続けて50kg台に至った。5月23日にフェントステープを貼ったところ、体重は急減し44kg台で落ち着いた。
2015年5月13日朝に両目が真っ赤に充血するのと機を同じくして、体水分率は50%から急上昇して80%を超えた。5月23日にフェントステープを貼ったところ、急減し元の50%あたりで落ち着き、同時に体重も劇的に減り本来の体重に戻った。
【2015年5月27日 訪問医診療レポート】
「フェントステープは貼っています。魔法の薬ですね。」
「お風呂から立ち上がれず這って出たこともありましたが、
すっかり元気になったので、全部片付けました。」
2015年5月27日になって、訪問医から市販の栄養飲料エンシュアの摂取を勧められたが、内臓損傷に対する専門的、医学的な養生、処置、注意喚起等の療養指導はまったくなかった。
【2015年5月27日 17:00 主治医カルテ】
「フェントス(テープ)始めてから調子良い
かなり調子良さそう、多弁傾向あり」
「往診Drにてフェントス(テープ)導入していただいた
腹満強いが疼痛コントロールは良好に」
「今後は在宅中心へ、当院通院も若干困難
何かあれば当院でサポ―卜とし在宅で加療いただく
次回眼科後に婦人科も受診を」
[2015-05-27 主治医カルテ]
『当院通院も若干困難、在宅で加療いただく』とあるが、内臓損傷で当然通院が困難になることが確実に予測できたので、あとは訪問医に任せようということであろう。
何かあれば当院でサポート、と書いているのに死後の解剖は頑なに拒絶した。主治医にサポートしてほしいことなど、もうなにもない。ただ死後の解剖をしてほしかっただけ。サポートと言っているのは、必要なら腹水穿刺をまたしましょうというだけのことにすぎない。
2015年5月27日、主治医の最後の診察。あまりいい雰囲気ではなかった。次回の診察は、できるだけ先に延ばして7月8日で折り合う。ただし主治医からは4週間後の6月24日に電話で体調を報告するよう求められたが、その前の6月22日に母は亡くなった。
【2015年5月29日 母の日記】
まー体調良く桜のヤゴ切り。
≪≪≪体調急速に悪化≫≫≫
【2015年5月30日 母のメール】
先日、思いがけず、訪問医の先生から『苦しさを取る貼り
薬』を頂いて、(2センチ正方の麻薬です。)私に言わせれ
ば奇跡的に!楽になり27日の予約日には、『また水を抜
く為の入院を考えて下さっていた先生』も看護師さん方も
『良かったですね・・』と。(先生方も皆様もその薬のこ
と、ご存知無いようでした)。
但しこれもキリがあるので、何処まで?ですが、終末医療の
先生(訪問医院長)も少しは間隔が長くなって、家に居られる
[2015-05-30 母のメール]
『また水を抜く為の入院を考えて下さっていた先生』とあるが、この段階で再度腹水穿刺などしたら、死んでしまうとは考えないのか。あまりに未熟で無知、無能な医師である。こんな医師にかかったら、間違いなく殺されてしまう。医学界からすみやかに退場すべし。
内臓損傷の事実を知らされないで、相変わらず主治医を信頼して頼りにしている母が哀れである。騙せるような無知な相手ならいくらでも騙してやるというのが主治医流の考え方なのだろう。
訪問医もお腹の辛さの原因についてまったく説明していないので、処方された麻薬は内臓損傷による辛さではなく、『卵巣癌の疑い』による腹水の辛さを和らげるものと母は考えていた。
2015年5月30日、訪問医院長から、オプソ(麻薬)の処方を受ける。
【2015年5月30日 訪問医院長診療レポート】
「今日はあんまり調子が良くないですね。苦しい。感激的な
薬の効き目がないですね。」
「張り薬の量は眠気が強くなり生活に支障をきたす可能性が
ありますので増やしません。レスキューの薬(オプソ)を処
方しますので、症状が辛い時に服用してみてください。」
≪≪≪体調急速に悪化≫≫≫
【2015年6月1日 訪問医院長診療レポート】
「お腹の張りは強くありませんし足の浮腫も改善してきています。腹痛はオプソを
服用して誤魔化しましょう」
【2015年6月3日 訪問医診療レポート】
「オプソはあまり効果がなかったので、お腹全体の痛みが強
くなっているので、フェントス(テープ)自体を増量するこ
とにしましょう。」
2015年6月3日、訪問医から、フェントステープを2mgに増量する処方を受ける。なぜお腹全体の痛みが強くなっているのか、分かっていながら説明しなかった。
2015年6月4日フェントステープ増量の効果はほとんど無く、食欲も無くなる。
2015年6月5日呼吸器科医師の診察を受ける。これが東京医療センターでの最後の診察となる。
診察後、私が医療センター前の薬局に薬を取りに行っている間、母は辛いからと広い待合室の長椅子で横になって待っていた。当たり前だけど普段そんな行儀の悪いことを人前では絶対にしない。
【2015年6月5日 母の日記】
(呼吸器科医師)先生の予約外来、多分最後の。
立ち上がってこの二年間の私の対応をほめて、握手してくださった。
食物がほとんど入って行かぬ。
2015年6月6日体調最悪、強い吐き気を感じる。
【2015年6月6日 3人目の訪問医診療レポート】
「だいぶつらいです。お腹が張って苦しいです。食事は全然
です。水も入っていきません。」
2015年6月6日自力で入った最後の風呂。
【2015年6月8日 訪問医院長診療レポート】
「お腹が苦しいです。左の脇腹が痛いです。
吐き気止めを飲むとほとんど入っていかないみたいで
2、3日食べていません。」
2015年6月9日、自力で立っていることもできなくなった。自力で最後のシャワーを浴びる。紙オムツを使い始める。
この先はもう急坂を転げ落ちるように衰弱が進んでいき、私もわけも分からず、ただもう日々の対応にてんてこ舞いするだけとなり、落ち着いて何も考えることができなくなった。
【2015年6月10日 訪問医診療レポート】
「力が入らないです。後ろから抱え上げないと起き上がれま
せん。(フェントス)テープを2mgにしてから食事が摂れな
くなっています。」
「食事も水分もほとんど取れなくなってきています。」
≪≪≪今月一杯もたない≫≫≫
2015年6月10日、訪問医が帰り際に『今月一杯もたない』と告げたが、これまた衝撃が大きすぎて、ただただ呆然と聞いていただけだった。
【2015年6月11日 訪問医院長診療レポート】
「今日は比較的調子がよろしいようなので良かったです。
食事に関してはゼリーが食べられているので今後も続けて
行きましょう。」
2015年6月11日からは、週4回の訪問診療になった。もはや自発的な意志のない、ただの生き物のようになってしまった。
2015年6月12日、よく幻影を見るようになる。
【2015年6月13日 訪問医院長診療レポート】
「体調は回復していますね。食事も摂れていますので安心し
ました。」
【2015年6月15日 訪問医院長診療レポート】
「週2回程度排便があれば心配ないと思います。血圧は安定し
ていますね。食事も食べられているので安心しました。」
≪≪≪訪問看護を受け始める≫≫≫
2015年6月13日、訪問看護と訪問入浴を受け始める。
2015年6月15日に介護認定員が来宅して、介護認定を受け『要介護3(1~5)』と認定された。
[2015-06-15要介護3]
2015年4月16日の『要支援1(1~2)』から、僅か二月後の6月15日には『要介護3(1~5)』へと4段階も悪化した。もちろんメインの腹水溜まりの腹水全量流出と内臓損傷が原因である。”卵巣癌の疑い”が原因というのは悪辣で狡猾な主治医による『病因のすり替え』にすぎない。
2015年6月16日ネットで腹水を検索して、要町病院の松崎圭祐医師の記事を読み、腹水には体を維持するのに必須のアミノ酸等の大事な栄養分や免疫成分が大量に含まれ、血管やリンパ管を通して体中を循環していて、決して無駄な排水のようなものではないことを初めて知った。
翌6月17日に訪問医に要町病院でのKM-CART法による腹水抜きについて相談した。
【2015年6月17日 訪問医診療レポート】
「要町病院の腹水治療に関しては、現段階では侵襲が大きい
のでお勧めしません。」
「入院加療は、家で過ごしたいというご本人の意向にも反す
ることになってしまいます。」
「現在はとてもよい状態でコントロール出来ていますので、
ベッド上で安静に過ごすようにしてください。」
主治医とは違って、訪問医は腹水抜きを勧めないと、至極まともなことをいっている。腹水穿刺を繰り返すという主治医の考え方はまったく理解不能、というより腹水穿刺についての理解が完璧に欠落している。主治医は医師としての基準を満たしておらず、独り立ちできるレベルではない。
メインの腹水溜まりの腹水の全量流出は体調悪化の間接的な要因であり、研修医が腹水穿刺時に内臓を損傷したことが直接的な要因であるのだから、この段階で腹水穿刺を繰り返すというのは、正気の沙汰でないただの『バカのうわ言』でしかない。主治医は動物実験でもするつもりか。大バカヤロー。
腹水穿刺を指揮、指導した主治医、陰から腹水穿刺を推し進めた元看護師長、訪問医療の中野なおクリニック院長および訪問医はともに、メインの腹水溜まりの腹水全量流出と内臓損傷に伴う重篤化について、最後まで完全スルーを貫き、一切説明しなかった。
主治医は腹水抜きの当事者であり、元看護師長も表には現れないが事実上の当事者だから、完全スルーした理由も容易に想像がつく。
訪問医療の中野なおクリニックの院長と訪問医の場合は、東京医療センターとの『患者斡旋の依存関係に伴う忖度』から、へたに動けば厄介なことになると考えて、事なかれ主義に徹し、波風立てずに流れに任せて、傍観を決め込んだようだ。はっきり言って無責任であり、誠実さに欠けていた。これで訪問医として合格だろうか。私はそうは思わない。
【2015年6月18日 訪問医院長診療レポート】
「お腹の張りが強いので足の浮腫も少し悪化しています。痛みのコントロールは出来
ていますのでこのまま様子を見させてください。身の置き所がなくて辛そうです
ね。」
「ゆっくりと休めなくなるようでしたら張り薬(麻薬)を増量しましょう。」
2015年6月18日、訪問医院長から要町病院のKM-CART法で腹水を抜くことについて、
『今そんなこと(腹水抜き)したら死んでしまうよ』
と言われる。
この時点で素人の私は、腹水穿刺の際に内臓を損傷していたことなど知る由もなく、腹水は溜まったら抜かなければならないと思い込まされていたので、要町病院での腹水抜きについて6月17日に訪問医に聞いたことへの訪問医院長の回答である。
訪問医も訪問医院長も、腹水穿刺でメインの腹水溜まりの腹水が全量流出してしまったことで、必然的に内臓を損傷したと理解していたから、ここで腹水を抜くのは無謀な試みで、単に死に追いやるだけとはっきりと認識していた。
それにもかかわらず、私には理由を一切説明しなかった。これは明らかに説明責任の放棄と告知義務違反であり、医師としての責務を果たしておらず、無責任で不誠実な態度である。
主治医は2015年5月8日に腹水穿刺した後、5月20日のカルテに『苦しくなったら入院穿刺ドレナージを』と書いている。
腹水穿刺で内臓を損傷したと知りながら、腹水穿刺を繰り返すつもりでいた。主治医の未熟な考えは、医師ではなく野蛮人の発想。
内臓損傷で苦しんでいるのに、腹水穿刺を繰り返すなど『キチガイ沙汰』だ。そんなことしたら訪問医院長が言うように、間違いなく死んでしまう。
主治医は自身が指揮、指導した腹水穿刺で、研修医が内臓を損傷させた事実を覆い隠し、あくまで卵巣癌で腹水が溜まってくると言い繕ろって、腹水穿刺する愚行、蛮行を繰り返そうとした。
内臓損傷しているのに、腹水穿刺を繰り返せば確実に死期を早めることになる。これはもはや医療犯罪に相当する悪質、悪逆な行為であり、医療行為であると言い逃れすることなどできない。主治医のようなヤブ医者にかかると『医師免許は殺しのライセンス』になってしまう。
2015年6月19日、2度目でかつ最後の訪問入浴を受ける。日中眠り続ける。
2015年6月20日、痰を大量に出す。苦しがるのでオプソを飲ませる。
【2015年6月20日 3人目の訪問医診療レポート】
「一昨日辺りから仰向けで寝るようになりました。この方が熟睡できるようです。
仰向けで寝るようになってから楽になっているようです。食事はゼリーや
メイバランス、エンシュアなどを組み合わせながらです。」
2015年6月20日10時、3人目の訪問医の診察を受ける。これが最後の訪問診療であった。
■■■東京医療センター産婦人科 主治医■■■
主治医に話を戻す。
≪≪≪”卵巣癌の疑い”のⅢ期で死亡、解剖依頼≫≫≫
2015年6月に入って、日々急速に体力を消耗していき、寝たきりの状態が続いたが、とうとう2015年6月22日朝、自宅で帰らぬ人となった。余命は主治医が宣告した3カ月ではなく、たったの1カ月であった。
腹部は"b"の字のようにへそから下が極端に膨らんだ異様な姿であった。
”卵巣癌の疑い”のⅢ期による死と考えるには、あまりに突発的で急激な衰弱のしかたで、どう考えても不自然、不可解な病状悪化であった。
何かあったら元看護師長に連絡するようにと、日頃母から言われていたので、すぐに向かい住む元看護師長に診てもらい、解剖を主治医にお願いする旨伝えた。このあと訪問医院長に連絡した。
訪問医院長は死亡診断書を書くにあたり、病名は何ですかと聞いてきた。いくらなんでも1年半も訪問診療をしていて、病名は何ですかはないでしょう。死因が『卵巣癌』ではないと分かっていたから、『ためらいと後ろめたさ』を感じ、少しでも責任を回避したかったのではないか。
医師は、病名も分からないのに死亡診断書を書けるのか。病名が分からないから遺族から聞いた病名を、そのまま死亡診断書に書いていいのか。なんとも理解しがたい不思議なできごとであった。
訪問医院長が帰った後、引き続き医療センター産婦人科の主治医に連絡したが、席を外しているとのことで、折り返しの電話をお願いした。
主治医からの電話を受け、かねてから母が主治医と約束していた剖検をお願いした。
母は早い段階から、『今後の医学の進歩に役立ててほしい』と考え、死後の剖検を主治医に頼み、主治医も快諾していた。
主治医に解剖をお願いしてあるという話は、生前繰り返し母から聞かされており、亡くなったらすぐに主治医に連絡して解剖してもらうようにと言われていたので、スムーズに解剖が行われるものと考えていた。
主治医は元看護師長から既に母の死を知らされていて、解剖依頼への対応策を元看護師長と事前に話し合っていたようだ。
≪≪≪主治医が解剖を拒絶≫≫≫
私の解剖依頼に主治医は躊躇なく、
『こちらで解剖するための手続きは煩雑で、ものすごく大変
ですよ。』
『車の手配もありますし。』
『診察の際に話には出ましたが、正式に約束したわけではあ
りません。』
『医学的には既に診断がついていることなのです。』
『いまさら解剖しても得られるものは何もありません。』
『解剖することに、何の興味も関心もないし、意味もないこ
とです。』
と冷淡、冷酷に言い放ち、いくらお願いしても、取りつく島もない、問答無用の拒絶的な返答しか得られず、やむなく解剖を断念させられた。
主治医という立場にありながら嘘で固めた説明を、平然と遺族にする主治医よ、アンタそれでも医者かい、医師失格だ、恥を知れ、恥を。主治医は人格面にかなり問題があるようだ。
東京医療センターで解剖するための手続きがいかに煩雑で大変でも、仮にそれが本当に医療センターが必要とするものであるなら、労をいとわずに手続きを進めればいいことである。そんなことに主治医が余計な気を使ってくれる必要などないはず。
東京医療センターのホームページの解剖についての説明では、『死亡した患者の解剖をできる限り行って、治療内容の検証を行い以後の治療に役立てていきたい』と書かれている。主治医が手続きが煩雑で大変といったのは、単に解剖を妨害して断念させようとしただけのことであろう。
車の手配は葬儀社に頼めば済むことである。
2014年8月8日の放射線科医から主治医への他科依頼返信に
『死後剖検のこともある様で、在宅死を希望されつつも、
当院での剖検も希望されています。』
と明記されている。一時的に治療を受けた放射線科医にさえ話しているのだから、2年間も診療していた主治医には当然はっきりと話していたし、決してほんの雑談程度のものではなかった。百歩ゆずって正式に約束していなかったとしても、遺族が解剖を求めたらそれに応えない理由はないはずだ。
医学的には既に診断がついていると主治医は話したが、2013年6月11日の主治医によるインフォームド・コンセントには、
『卵巣癌と診断が確定した訳ではない。』
『卵巣癌の診断は手術で摘出したものを病理組織診断するこ
とで診断となる。』
主治医はかつて自身がカルテに書いたことと矛盾することを平気で口にして、言い逃れしている。
母は腹水の細胞診は受けたが、手術は受けていないので病理組織診断はされていない。診断は未確定なのだから遺族が望んだ解剖で死因を明確にするのが医師の務めであろう。
患者、遺族を欺く意図をもって偽りの説明をするとは、まぎれもなく悪辣、悪質、悪徳医師による背任行為である。
解剖しても得られるものが何もないというなら、解剖など必要ないということになる。解剖とは死因を究明することが目的であろう。主治医は解剖が必要とされる意味をまったく理解できていない。これでよく医者が勤まるものだと、ただただ呆れるばかりである。ただの大バカなのだろう。すみやかに医学界から退場されたし。
解剖することに、興味も関心も意味もないと言っているが、真意は解剖なんかしたら隠していた内臓損傷の事実が明るみに出て、すべてがばれてしまうから恐ろしくてできないということであろう。
主治医にとって解剖は、パンドラの箱である。だから絶対に開けてはならぬのである。開ければすなわち自身の医師生命の終わりを意味する。こんなレベルの医師の医師生命など早く終わった方が世のため、人のためだ。
母は自身の”卵巣癌の疑い”の症例が、今後の医学の進歩に少しでもお役に立てればとの思いで、主治医と解剖の約束をし、主治医も快諾していたのに、いざとなったらあっさりと約束を反故にしてしまうこの非情さに、無念を禁じ得ない。
母は複数の知人に、今後の医学の進歩のため解剖してもらうよう主治医にお願いしてあると話していたので、亡くなった後で知人たちから解剖をしたんですかと聞かれた。
≪≪≪解剖拒絶した主治医カルテ≫≫≫
解剖を拒絶された時点で、腹水の全量流出とそれに伴う内臓損傷が死因であるとの認識はまったくなく、母の遺言通り純粋に医学の進歩のための解剖と考えていたのと、母が亡くなった直後の落ち込んだ気持ちのなかで、冷静にものを考えることもできず、主治医の頑なな態度に押されて解剖を断念させられてしまった。
【2015年6月22日 8:58 外来 医事課 カルテ】
「ご家族より。今朝、お亡くなりになられたとのこと。
本人と主治医先生の間で亡くなった際は病理解剖をすると
いった話はなかったでしょうか ?
Dr主治医 対応」
[2015-06-22 外来 医事課 カルテ]
【2015年6月22日 9:26 主治医カルテ】
「6/21夜間より呼吸苦増悪され永眠
2015/6/22自宅にて永眠されたと連絡あり
往診Drにて死亡確認していただけたとのこと」
「死因は病死で明らか、養子の方と相談し病理解剖は実施せ
ずとした」
[2015-06-22 主治医カルテ]
6/21夜間より呼吸苦増悪というのは、元看護師長には自宅で説明したが、主治医には電話で、ただひたすら解剖のお願いをしただけで、呼吸苦憎悪などとは話していない。
主治医との電話では最初から解剖する、しないのせめぎ合いの中で、呼吸苦憎悪になど話は及んでいない。主治医は元看護師長から知らされたことを、私が話したことと勘違いして書いたのであろう。主治医と元看護師長が裏で通じていたことを示す証左である。語るに落ちたな。
遺族と相談し病理解剖は実施せずとあるが、相談などしていない。実に悔しいことに、ただ一方的に解剖を”拒絶”されただけである。主治医は悪質な稀代の大ウソつきである。
主治医の2年間の”卵巣癌の疑い”の診察を通じて、ずっとclassⅢのままだったのが、腹水穿刺後の初めての余命宣告で、突如余命3カ月と宣告されて、一月後に死亡したのに、死因は病死で明らかとはなんだ。病死ではなく研修医による医療事故死だろうが。
死因は病死で明らかと書いているのは、卵巣癌と診断がついていないのと、後になって内臓損傷と判明した際にカルテへの虚偽記載として罰せられるのを避けるためか。死亡の事実を記載するのに病名を明記しない、あるいはできないのに、解剖を拒絶するとは何事か。
腹水穿刺後に病状が突然悪化した原因を、解剖で確認するのが医師の努めではないか。遺族も解剖を求めた。医師としての自覚が足りなさすぎるというよりは、ただ目と耳をふさいで頭だけでもどこかに隠したいというだけのことであろう。尻が丸見えだぞ、大バカ者。
東京医療センターの重大医療事故(8)につづく